ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5808,閑話小題 〜毎日が面白い! (後編)
ヨガ
スポーツジムのヨガに参加して4ヶ月になる。‘スロー’ヨガというから
初心者向けだが、腰痛持ちは少し厳しい。定員50人に、平均40人位が参加。
男性参加者が5〜6名で、最高齢は私で、片隅で目立たないようにしている。
その中、時どき先生がヨガの説明をする。先日の内容は、「ヨガは瞑想法の一つ。
無念無想になるために呼吸法と、色いろなポーズを取ることで、そこに気持ちを
集中して、頭を空ッポにするため。従って、ヨガが上達したとか、しないとかは
気にすることはない」という。なる程!いいことを言う。週二回、4ヶ月経った
印象は、「腰痛解消のために病院で集団治療をしている感覚。」腰には良いが、
少し痛みが残る。それでも合計33回、ヨガを続けてきた成果が出始めてきた
体感はある。数十年かけて固まった足腰が、徐々に解けているのがポーズの積み
重ねで実感する。 ーそこでヨガの意味をネットで調べてみたー
≪ ◇ ヨーガの意味と起源
ヨーガの起源をたどると、紀元前二千五百年程のインダス河流域のハラッパや
モヘンジョダロなどの遺跡から、ヨーガの坐像の印形が出土していることから、
その頃を起源としているようだが、実際に「ヨーガ」という言葉が宗教用語と
して確認されているのは紀元前五百年前後のベーダンタ時代で「ヨーガ」とは、
「馬を車体につなぎ、その馬車をコントロールして、道をはずさず、人生の目的地へ
行くこと」を意味していた。 カタ・ウパニシャッドでは 「真我(アートマン)を
車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。賢者たちはもろもろの
感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。このこと
から「ヨーガ」とは、馬を車に「つなぐ」が語源であり、意味するところは「結ぶ」
「コントロールを する」「バランスをとる」との意味をもってきました。
又、少し遅れた同時代には釈迦族のゴータマ・シッタルダが悟りを開き、仏教が
スタートしています。このお釈迦様も二十九歳の時、王宮から出家して山野で六年間
修行された後、ブッダガヤで瞑想し、悟りを開かれたのですが、その間、瞑想をしたり、
断食をしたり、野山で遊行した修行が、まさに当時のヨーガそのもの。その生きた
お釈迦様の実際に語った言葉を、後に弟子が書き残したと云われる「ダンマパダ
(法句経)」の中にも、「ヨーガ」という言葉が語られています。
「まさに智はヨーガより生じ、ヨーガなくして智は滅ぶ。その道理を知りて、
ヨーガを行じ、智を増大せしめよ。」「智」というのは、物事を分析するの知識
(分別知)ではなく、知に日がついて光あふれた、命の智恵「英知」と云われて
います。それを人々に伝える人を、かつて、日知り「聖人」と云ったのです。
このように「ヨーガ」とは、「結びつける」「コントロールをする」
「バランスをとる」という意味と、その「修行法」「技法」として発達してきた。
それでは何と何とを「結びつけ」「バランスをとる」のでしょうか? それは、
@身体と心をバランスよく結びつける。
A内なる私(真我)と大いなる我(宇宙)とを結びつける。
B人と人をバランスよく結びつけることなのです。
仏教では、それを三宝と云って、@身体と心をバランスよく結びつけ解放した
人間存在を「仏(ブッダ)」といいA宇宙や自然の法則と自己とを調和させる
生き方を「法(ダルマ)」といい、B人と人とが調和し助け合う平和な社会を
「僧(サンガ)」といって尊んだのです。 そしてヨーガでは、その方法を、
具体的な生活法(ヤマ・ニヤマ)、運動法(アーサナ)、呼吸法(プラーナヤーマ)、
瞑想法の階梯(プラティヤハーラ、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ)
そして祈りの言葉・神の名(マントラ、ジャバ)等として、 私達に伝えて
きているのです。 ≫
▼ ≪「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と
心得よ。賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん
でいる」と述べています。このことから「ヨーガ」とは、馬を車に「つなぐ」
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02月08日(水)
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