ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5795,「自分」から自由になる沈黙入門 −3
かぎり、この試みは何度もくりかえされ、そのつど異なった自己の姿が
あらわれてくるであろう。・・・ ≫
▼ この随想日記の楽しみは露悪的、自虐的に自分を曝け出すことである。
それは、自分を上から目線で見つめることになる。それを続けていると、
書いた数年後に、上から目線の自分を、さらに上から見ることが出来るようになる。
だから、自虐をしている自分を見下している己もまた、自動的に見ている自分が
出来ている。毎年の同月同日に、10数年分の、これを毎朝、読み返している。
その時々の視線と視点が、デズニーのキャラを見ているようで、それがまた面白い。
それは自分自身だけでなく、その対象にした人、出来事をも上から目線でみる
ことが出来る。だから、極限の喜怒哀楽の現象も、冷静に再体験することが出来る。
晩年に、多くの人が自分史を書くのは、自分の人生を主題とした物語として、
書き残すため。他からみたら大したことでないが、本人からしたら人生は自分が
ヒーローである。 変化する自分を予め物語としての粗筋と、生きる指標を
決めておくとおかないで大きく違ってくる。最期は、‘面白かった!’
と実感できるかだ。
・・・・・・
3958, 他人を責める「新型うつ」について ー4
2012年01月26日(木)
* 「他責的」な新型うつの病理
ー 次の部分が、「新型うつ」の病理を解明しているー
≪ 大衆にある「よりよく機能したい」という欲望を満たしてくれるかのような
幻想を覚える「ハッピードラッグ」を求めて、医師のもとを訪れる消費者、
いわば「抗うつ薬信者」ともいうべ患者が増えたのである。
なぜ、この欲望はこんなに強くなったか? まず、消費社会が購買意欲をかき
立てるために「あきらめるな」「すべて可能である」といったメッセージを送り
続けた結果、あきらめきれない人が増えた。断念せずにすむ手っ取り早い方法が
開発されたことが宣伝されればされるほど、以前であればあきらめを受け人れ
ざるをえなかった人も、あきらめきれなくなった。とりわけ、「こうありたい」
という自己愛的イメージにとらわれている人ほど、「自分はこんなもんじゃない」
という思いが強いので、自分を「底上げ」してくれる手段にすがって、あきらめを
何とか回避しようとする。当然、自己愛の強い人ほどあきらめきれないが、現在、
こういうタイブが増えている。少子化の影響もあって、子育ての失敗が許されなく
なり、親の期待がもろに子供の肩にのしかかるようになったからである。
親の期待とは親の自己愛の再生にほかならず、敗北感や不全感にさい悩まれて
いる親ほど、自分自身が放棄せざるをえなかった自己愛を、よりいっそうわが子
に投影する。 子供は、親の期待に応えなければ愛してもらえないと肌で知って
いるので、親から投影された自己愛を引きずったまま成長していくわけである。
子供が多くの時間を過ごす学校という場で、自己愛的イメージを徐々に断念
させて現実の自分を受け人れさせる、つまり「身の程を知る」ようにさせる
システムが機能しているかというと、現状は正反対。何しろ、「やれぱできる」
「誰にも無限の可能性がある」といった類の幻想を盛んに吹き込んでいるから。
こういう幻想を吹さ込まれ続けて「なりたい自分」のイメージだけが肥大して
いくと、現実の壁にぶつかって自己愛的イメージと現実の自分のギャップに
直面したとき、ふくらむだけふくらんだ自己愛の風船をどうやってしぼぽせたら
いいかわからず、落ち込んでうつになる。おまけに、現実の自分が
「これだけでしかない」のは、オ能、努力、意欲が足りなかったせいなどとは
決し思えない、いや思いたくないので、他人にせいにして責める。
これが「他責的」な新型うつの病理である。≫
▼ 私も八人兄姉の末っ子で、両親から特に大事にされ育ったため、
心のどこかで常に親の期待に答えようと意識していた。青年期は、その葛藤の
中で常に、「自分はこんなものじゃない」と、自分の「底上げ」を心掛けていた。
27歳で父が亡くなった時、創業の激務もあったが、何かから解き放たれた
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01月26日(木)
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