ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5716,フラッシュバック
自分自身の表現や自己の記憶、内省的な自我、さらには現在時の自分の思考状能
や会話、言語の認識状能も内部表現の一部である。内部表現は常に外界と情報を
やり取りしながらリアルタイムに情報状能が更新されているため、その動きは
非常にダイナミック。 脳内にある自分自身を含めたあらゆる抽象度における
世界のモデルが内部表現。ただ、内部表現内のそれぞれの情報状態は、巨大な
相互関係のネットワークを構築し、それが常にリアルタイムでダイナミックに
更新されているので、実際にそれを我々が記述することができるか否かは別問題」
◇「内部表現は、進化のレベルに従って複雑になつてきている。これは脳が進化
 している結果。 人間においては、内部表現という外界のモデルとして脳内で
表象される世界が、物理的な現実世界だけではなく、映画や小説の仮想世界にも
持てるのが特徴的。例えば、言語で表せられた世界は、物理的な現実世界ではない。
 それでも小説で描かれる世界を整合性をもって、臨場感を感じて認識すること
ができる。これは小説の仮想的な世界を、内部表現として脳内で表象できるから」
◇「内部表現を変える」には、@狩りのゴールを設定し、そこに向かって
 コンフォートゾーンを変えていくー>内部表現の中で「自我」を定義している
 情報を選択的に書き換える。
A抽象度を徹底的に高めて、この世界・宇宙を見つめ直すー>
 内部表現全体を書き換える。
【コンフォートゾーンとは、自分がラクでいられる 範囲のことで、 人は、
 この居心地のいい環境や場所は楽なので、ここにとどまろうとする 】
▼ 高度成長期の右上がりの時代背景に、「創業者人生」を20歳時に決めた。
 それから私の「内部表現」の書き換えが始まった。と同時に、俄然、人生が
面白くなってきた。大空を掴むような得体の知れない目標に向かい、ドンキ
ホーテのようなコミカルな人生が始まった。それが「内部表現」そのもの。
事業人生を終わって、しみじみと傷口から45年間を振り返った時、その自分が
可笑しくて、独り笑いがこみ上げて大笑いをした。人生は、結果はどうであれ、
こんなものか。 笑えるだけ、まだ良い? か!
・・・・・
4244, しまった!  ー3
2012年11月08日(木)    
  ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著) 
   * 見ていても見えているとはかぎらない
 この年齢になって、つくづく感じるのは自分の無知。特異と思っていた
自分の人生も、小さな世界に縛られた凡庸な枠内。知っていたつもりが、
何も知ってなかった厳然たる事実。それでも可能な限り考え、前向きに生きて
きたつもりだったが、振り返れば「しまった!」の連続。
「見ていても見えなかった」のである。結局、地頭の限界が、その人の程度。
「知ったかぶりするな!」が、何事についての基本。知りもしないのに、
知っているつもりだったのである。そう、実験に昨夜、ビデオに録った
「居酒屋放浪記」を、見たが、二度目に見たとき、一度目は、殆ど何も見えて
なかったことに思い知らされた。大部分の人が、そうだとしても、こと重要
案件に対しては、それは許されるものでない。  
   ーまずは、その辺り部分を抜粋してみるー
≪ 私たちは何かを、または誰かを見るとき、そこにあるすべてが見えて
 いると思う。しかし実際はそうでない。小さなもの、背景などが目に入らない
ことが多い。目はカメラではない。出来事の「画」を撮りはしないし、一度に
すべては見えてない。視野の中で常に見えるのは、全体の数分の一に過ぎない。
たとえば通常の視距離でハッキリ見えるのは、視野の四分の一に過ぎない。
目はこの制約に対処するため、絶えず視野を動かし、一秒におよそ三回の割合
で動いて止まってを繰り返す。さらに動いている目に何が見えるかは、見る人
によっても変ってくる。たとえば、男と女では、気づくものが違う。
男が女の財布をひったくられたのを目撃したとき、女性はひったくられた
被害者の容姿や行動に目が行きがちだが、逆に男性はひったくられた犯人の

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11月08日(火)
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