ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5688,自分のための人生 〜@
 ことにより、海洋地下資源開発の促進、あるいは新たな漁獲域の出現など
 大きな変化があるだろう。
・人類の活動によるもうひとつの副産物「エアロゾル」は冷却機能を持つ。
 成層圏にこのエアロゾルを人為的に注入することによって温暖化を防ぐ案が
 あるが、どのような影響が出るかわからない面も多く、リスクがあるため
 実現はしないだろう。
▼ 当分の間、現在、生きていくため将来を犠牲にする構造は変わらない。
 その結果、温暖化問題が、より深刻化していく悪魔の循環が、日々、大きく
なっている。 世界の氷河の幾つかを見てきたが、何処も氷河の後退が話題に
なっていた。「地球滅亡」をテーマにした映画を最近、多く見てきたが、
このままでは、現実問題になってくる。
・・・・・・
4216, 開国という強迫観念 ー3
2012年10月11日(木)                      
 * 果たして世界>東京>地方か、先進文化度の順は? 
      ー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思
 Uターンをして、地元に帰ってきて、私の地元に対して感じたのは、閉鎖的
城下町の世界。とにもかくも、染まらない、人間関係の序列社会から離れること
だった。間違いなく、世界>東京>地方>城下町の視線だった。新潟市でさえ
外部の比率が6割に対し、長岡は2割しかいないことを知った。要は盆地の雪国。 
住居を長岡、事業を新潟市にして毎日、通っていると、それが浮き上がって見える。
それも首都圏から見れば似たようなもの。それを逆照射してみると、世界という
より欧米から見れば、日本は極東のアフリカか、中南米のような世界と同じ。
5百年近く前に、日本にやってきた西洋人が、この東洋の島国にやってきて、
その文化の高さに驚いた。当時の織田信長の鉄砲で固めた軍隊は、欧州を滅ぼす
ほどの近代化された軍隊だった。世界>東京>地方の図式は、こと日本において、
決して当てはまらないのである。  ーその辺を抜粋してみるー
≪ 世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえると、「東京」は
「国際化」の象徴であり、外へ開かれた都市でした。東京へ行くことは、
また自分を世界へ開くことでもあったのです。それに対して地方や田舎にいる
ことは内向きで閉鎖的な部族民に甘んじることなのです。そして、この場合、
「東京」が普遍的な「世界」を象徴するならば、「地方」や「田舎」は特異な
「日本」そのものだった。誰も「日本的風景」や「日本的社会」という言葉を
聞いて「東京」を思い浮かべはしないでしょう。「日本的」で連想するのは、
田舎の野原に囲まれた風景だったり、地方でのいささか窮屈な生活だったりする。
だから、確かにここにはかなり「複雑」な事情があります。このことを突きつめて
ゆくとかなりやっかいな問題がでてくるのではないか。「開国の論理」とは、
まずは「田舎」を捨てて「都会」をとるという論理で引く。そして、日本の
近代化とはまさしく「田舎」を捨てて「都会」をとろうとしたのでした。
「開国の論理」とは、まさにその延長上にある。ほぼ日本近代化の論理そのもの
といってもよい。日本の近代化とは、「田舎」の閉鎖性を後進性とみなして、
これを捨てる、もしくはこれを「都市化」することだったのです。この同じ論理を
もう少しスケールアップしたのが「開国の論理」でした。「世界」=「都市」、
「日本」=「田舎」と見なせば、ここで、われわれは「日本」を見捨てるか、
さもなければ「日本」をこそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的
文化面は、自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、まさに一進歩」した
「文化人」を演出したのでした。 ・・・ ≫
▼ 首都圏の住民は、地方出身者を田舎者と一段、二段、蔑んで見ている。
 その出身者も、地方からの旅行者を「おのぼり」と蔑んでみている。
当然、都会は階級社会がハッキリしている。その下層の人は、それを地方
出身者に向ける。地方の人も、自然と固定観念に染み付き、自虐の念になる。
しかし少し考えれば、どうでも良いことが分かる。

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10月11日(火)
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