ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5679,閑話小題 〜大口病院異物混入事件
感じてしまう。ふたつの気持に引き裂かれながら毎日がある。もともと旅が
好きだったが、一人暮しになってから旅が増えた。といっても家を長く空ける
わけにはゆかないのでせいぜい一、二泊。ほとんどが鉄道の旅。列車の窓から
流れてゆく風景を眺める。あまり大自然には興味はない。人間の営みが感じ
られる町がいい。鉄道の駅があって、駅前には昔ながらの商店街がある。
食堂やそば屋があれば有難い。夏ならビール、寒くなったら燗酒。孤酒は生きる
元気を与える。旅をしていて以前とは違う楽しみも出来た。 好きな町に
出会った時「老後をこの町で暮したら、どんなだろう」と空想すること。
函館、盛岡、小田原、湯河原、松江、長崎など、町を歩きながら、
このマンションに住んで、この居酒屋に通って・・と想像する。 》
▼ 生の切実な声が、ストレートに伝わってくる。「最近の旅は、隠れ里探し
になってきている」というのも良い。私も、この大きな住宅に何時までも
住むのは無理である。5年が目処になるが、住み心地がベストのことも確か。
それにしても、老後を、「そして、人生はつづく」というのは良い。
連れ添いに先立たれたり、寝たきりや、病が次々と出てくる時節に
「そして、人生はつづく」から、「それでも、人生はつづく」になるのは
致し方ない。その中で、いかに静かに心の平安を保つことの難しさは周囲の
老醜を見れば分かること。 何もかも面倒になり、ただ惰性と安逸の中で、
過去のフラッシュに心が動揺する。その反面、TVの旅番組で、毎日、
行き先の放送している。ドラマも、多くの経験を得た現在、今までと違う
見方で味える。さほど先は無いと思い、あらため世の中を見ると、
知らないこと、未経験のこと、気づかなかったことだらけ。
そして、人生はつづく。 されど我らが老後である。
・・・・・・
4207, 親子年表
2012年10月02日(火)
* 自分目線の100年世界
還暦を過ぎた辺りから、その時々年齢の父と当時の自分の年齢を重ねて
みている。更に最近では、「二人の息子の年齢に自分は何をしていたか」も
重ねみるようになった。先日、こういう見方を「親子年表」として存在している
ことを知った。考えることは皆、同じである。父が66歳時に、私は22歳。
父が亡くなった71歳時に27歳。1973年であった。 父の享年まで私は、
あと5年になる。そろそろ最期の身辺整理の時期に入っている。
父は最期の仕事に自分の財産を生前贈与をして亡くなっていった。
それが私の人生を大きく支えてくれた。両親の愛情を物心とも直接、間接的に
受けたことが最大の財産である。その意味で家内も私と同じように恵まれた両親
だった。その相性が良かった悪かったで人生が大きく変わる。これこそ最大の
ツキの善し悪しになる。 それに甘んじて一生、親の世界から抜けられなく
過ごし、死の間際に慌てて生き急いでいる人を秘境ツアーで何人も出会ってきた。
「ハッとしたら、既に老境。親のいうとおり生きてきたが、自分の人生が何も
無かった。死に病になり、何時死ぬか分からないが、このままでは死ねない。
その何かが世界の果てにくれば少しで分かると思い立ち、参加した!
帰国すれば大きな問題が山積み」という一身上の話を偶然、山道で隣り合わせに
なった60過ぎの一人参加の女性から聞いた。死に直面した時に大きく動揺する
のは、「やりたいことを、してなかったため」という。結果がどうあれ、現在、
心が安定しているのは、60歳までに、前倒しにして遣り尽くした感があるため
だが、これは大きい。これがないと、周囲のマイナス探しで自分を肯定する
しかない晩年になる。ほぼ九割の人のそれは周囲の誰かを具体的に特定すれば
見て取れる。団塊世代と、その子供の世代の特徴を親子年表にし、時代背景から
見ると、その特徴が浮かび上がってくる。その世代間格差が、あまりに大きい。
逆に団塊世代の親の世代をみると、太平洋戦争に大きく翻弄された最も困難な
時代である。それからして終戦直後の団塊世代前後の人が奇跡的に恵まれた
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10月02日(日)
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