ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383720hit]

■5675,【賢者の言葉】F  〜F.W.デクラークの言葉
 旅も大半は一人旅。 ・・もうじき七十歳になろうとする人間にとっても、
秩序と平和を創造すること、がいかに大事であるか。」が、言い得て妙。
私は二年半前に、その半年前までは思いもしなかった事業整理をせざるを
得なくなったが、それでも、人生はつづいている。そこでのコツは「独り」
の世界の中で、秩序正しい静かな生活を守ること。 
一応、準備を含めた45年かけた独りの世界があるが・・・
・・・・・・
4203, 呪いの時代 ー17
2012年09月28日(金)
  * あとは呪詛の効果を搾制し、贈与を活性化するしかない!      
                      「呪いの時代」内田樹著
 呪詛を抑えるに、贈与でお返しをするのが一番良い方法になる。
が、放置しておけば、さらに憎悪が増す。呪いに対し、贈与で返すのが
贈与の贈与たる由縁になる。メディアは記事を売らんがために呪いの対象を
つくり上げる。手っ取り早いのが、政治家の失政と芸能人のスキャンダル。
関係もないのに、いつの間に扇動され呪詛の集団にされる、俗に言う
世間様レベル、B層である。呪詛は、これからも強くなるが、知恵で
自分を守らねばならない。  ーその辺りからー
≪ 世の中はバカばかりで、システムは全部ダメであるという宣告はかなりの
 部分まで真実を衝いているのかも。私が問いたいのは、その指摘が正しいと
すれば、そのような世の中を少しでも住みやすいものにするために、あなたは
何をする気なのかということである。完膚なきまでに批判し抜くことが、個人に
対しても制度に対しても、もっとも効果的な「改善」実践であるという左翼的
な批評性の定型から私たちは抜け出すべきときです。
「私がこのシステムの責任者です」と名乗り、それに対するすべての批判を
粛々と受け容れ、批判されればされるほどパフォーマンスが向上するような
「責任者」が存在するなら、そのような定型的批判も有効かも知れない。
だが、実際には、そのような責任者はどこにもいないのである。私たちはもう
「壊す」時代から抜け出し、「作る」時代に踏み入るべきだろう。命旦夕に
迫る病人に向かって「生き方を根本的に変えろ」と叱りつける人間はいない。
それよりは残されたわずかな生きる時間の質を維持するためにどうするかを
考えるだろう。・・・
(・・中略)私たちの意識を批判することから提言することへ、壊すことから
創り出すことへ、復讐することから受け容れることへ、傷つけることから癒やす
ことへ、社会全体で力を合わせて、ゆっくりと、後戻りすることなくシフトして
ゆくべき時期が来た。そのときに指南力を発揮すべきなのはメディアである。
けれど、メディアはまだ「呪い」の語法を手放すことができずにいる。
この本の中で私は別に目新しい知見を語っているわけではない。皆なが知って
いることをもう一度繰り返し確認しているだけである。呪誼も贈与も人類と
同じだけ古い制度であり、それがどう機能するものかは誰でも知っている。
けれども、多くの人びとはそれは神話や物語の中のことであっで、
私たちの日々の生活には何のかかわりもないと思っている。そうでない。
呪誼は今人びとを苦しめ、分断しているし、贈与は今も人びとを励まし、
結びつけている。呪認の効果を搾制し、贈与を活性化すること。
私が本書を通じて提言しているのは、それだけのことである。 ≫
▼ 西アフリカ横断のバスツアーで、単調な奴隷通りという道をひた走って
 いた時、突然、道路の脇道にそれた。そこは、小さな市場になっていて、
5〜6軒の店があった。呪詛の為の小物だけを売っている市場という。
アフリカ地域の多くは、今だに呪詛の習慣があり、その効果が信じられている。
そこで突然、生々しい人間のサガを突きつけれたようだった。昔、アフリカ
の奴隷は、地元の部族が近くの部族を襲い、捕虜にして奴隷商人に売ったもの。
警察力が希弱な土地柄だと、近辺の争いに弱者は黙って呪詛に訴えるしかない。
日本は近代国家とはいえ、断絶の、それも20数年も落ち目の時節にあって、

[5]続きを読む

09月28日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る