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堀井On-Line
by horii86
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■5599,恋愛心理学 〜①
しながら、両親に両側を挟まれ光の中、消えゆくイメージを瞑想で中で創れる
かもしれない。死際の準備も、この著書にシッカリ書いてある。
次回になるが、なかなか含蓄がある。 母親は痴呆症になる前に、全て準備
をして私に託していった。本当は還暦前にしておくべきことだが、
今でも遅くはない・・ 何事も準備である。
・・・・・・
4128, ヨガとは何?という素朴な疑問
2012年07月14日(土)
スポーツジムのヨガに参加して4ヶ月になる。‘スロー’ヨガというから
初心者向けだが、腰痛持ちもあって少し厳しい。定員50人に、平均40人位
が参加している。男性参加者が10名位で、片隅で目立たないようにしている。
その中、時どき先生がヨガの説明をする。先日の内容は、「ヨガは瞑想法の一つ。
無念無想になるために呼吸法と、色いろなポーズを取ることで、そこに気持ちを
集中して、頭を空ッポにするためのもの。従って、ヨガが上達したとか、しない
とかは気にすることはない」という。なる程!いいことを言われる。週二回、
4ヶ月経った印象は、「腰痛解消のために病院で集団治療をしている感覚。」
腰には良いが、少し痛みが残る。それでも合計33回、ヨガを続けてきた成果が
出始めてきた体感はある。 数十年かけて固まった足腰が、徐々に解けている
のがポーズの積み重ねで実感する。ーそこでヨガの意味をネットで調べてみたー
≪ ◇ ヨーガの意味と起源
ヨーガの起源をたどると、紀元前二千五百年程のインダス河流域のハラッパや
モヘンジョダロなどの遺跡から、ヨーガの坐像の印形が出土していることから、
その頃を起源としているようだが、実際に「ヨーガ」という言葉が宗教用語として
確認されているのは紀元前五百年前後のベーダンタ時代で「ヨーガ」とは
「馬を車体につなぎ、その馬車をコントロールして、道をはずさず、人生の目的地
へ行くこと」を意味していた。 カタ・ウパニシャッドでは 「真我(アートマン)
を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。賢者たちはもろもろの
感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。
このことから「ヨーガ」は、馬を車に「つなぐ」が語源であり、意味するところは
「結ぶ」「コントロールを する」「バランスをとる」との意味をもってきました。
又、少し遅れた同時代には釈迦族のゴータマ・シッタルダが悟りを開き、
仏教がスタートしています。このお釈迦様も二十九歳の時、王宮から出家して
山野で六年間修行された後、ブッダガヤで瞑想し、悟りを開かれたのですが、
その間、瞑想をしたり、断食をしたり、野山で遊行した修行が、まさに当時の
ヨーガそのもの。その生きたお釈迦様の実際に語った言葉を、後に弟子が書き
残したと云われる「ダンマパダ(法句経)」の中にも、「ヨーガ」という言葉が
語られています。「まさに智はヨーガより生じ、ヨーガなくして智は滅ぶ。
その道理を知りて、ヨーガを行じ、智を増大せしめよ。」「智」というのは、
物事を分析するだけの知識(分別知)ではなく、知に日がついて光あふれた、
命の智恵「英知」と云われています。それを人々に伝える人を、かつて、日知り
「聖人」と云ったのです。このように「ヨーガ」とは、「結びつける」
「コントロールをする」「バランスをとる」という意味と、その「修行法」
「技法」として発達してきたのです。それでは何と何とを「結びつけ」
「バランスをとる」のでしょうか?
それは、�身体と心をバランスよく結びつける。�内なる私(真我)と
大いなる我(宇宙)とを結びつける。�人と人をバランスよく結びつけること。
仏教では、それを三宝と云って、�身体と心をバランスよく結びつけ解放した
人間存在を「仏(ブッダ)」といい�宇宙や自然の法則と自己とを調和させる
生き方を「法(ダルマ)」といい、�人と人とが調和し助け合う平和な社会を
「僧(サンガ)」といって尊んだのです。そしてヨーガでは、その方法を、
具体的な生活法(ヤマ・ニヤマ)、運動法(アーサナ)、呼吸法
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07月14日(木)
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