ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383187hit]

■5543,閑話小題 〜お金に窮したことは一度もなかった
うちの主人が生前、そういう話をしてませんでしたか? 貴方にはシックス
センスがあると聞いてましたが、この現象をどう思いますか?」と真剣な眼差し。
「恐らく貴女は、魔界とか何か違う世界に取りつかれたと考えるしかありません。
そういう話は一度も本人から聞いたこともありません」と答えた。その話を、
その人の共通の知人に話すと、「実は私の家に訪ねてきて、全く同じ話をし
写真を見せてくれたが、何も見えなかった。他にも訪ねてまわっている」
とか。本人は60歳前後で、老女というには、まだ若い。 
  ーアマゾンの内容説明ー
 精神科医である著者が、現代社会におけるさまざまな精神病理を、きわめて
冷静に考察したものである。ある日、ひとりの老女が、「自分の部屋に勝手に
人が入ってきて困る」と訴える。その侵入者は、彼女の部屋にある日用品などを
盗んでいったり、ちょっとだけ位置をずらしていったりするという。しかし、
姿は見えない。まるで、「座敷わらし」などの妖怪のしわざとしか言いようが
ない不可解な話を、老女は真剣に語る。 表題となっているこの症例は、
「幻の同居人」と呼ばれる。このような症例は、多数報告例があるらしい。
患者たちは、脳に器質的な異常が認められるわけではなく、精神的にも問題ない
場合が多い。「妄想の突飛さと当人の穏やかな常識人ぶりとのあいだに乖離が
生じているときには、精神医学はたちどころに歯切れが悪くなってしまう」
と著者は言う。それがこの症例の複雑さと奇妙さとを物語っている。
▼ 当時は、この本の存在を知らなかった。 子供達の巣立った家で、
 当人は深夜怯えているのだろうが・・ 想像しただけで、背筋が寒くなる。
当人にとって感じるのだから!私も一時期、女性の幽霊?を見たり、幽体離脱
をしたり、面白い経験をしたことがあるので、当人が真剣になるのは分かる。
・・・・・・
4072, 南直哉 恐山菩提寺院代の話
2012年05月19日(土)
 昨夜の18日、BSフジ・プライムニュースに恐山菩提寺の南直哉(じきさい)
院代が2時間近く出演し、「生きる」ということ、「死」について、説いていた。
最近、「恐山」出版されたようだ。東北震災で家族を亡くされた人が多く訪れて
くるというが、行方不明の場合、縋る思いで恐山に救いを求めるのは分かる。
院代とキャスターの問答の中で多くの鋭い指摘があった。
・恐山は感情の器。 ・死は観念、生は感覚。 
・「やりすごす」ことの重要性。(なんとかやっていける方法がくるまで待つこと) 
・人間には存在が認められた経験が必要。最初の動力になる。 
 子供の頃に、その基盤を両親がつくるが、それが壊れてしまっている。
・自殺は選択の問題。まず生きることを選択すること。転んでも起き上がる
 ことが大事、自殺したくならないような人生は本来の人生でない。
・あの世があるか?の質問に対し、「その前提に、死後の世界がある、という
 認識がある。」その前提は何か?と逆に問う。
・最近さかんに「心の時代」というが、どんな時代にも、その時代を生きた人
 には心があったのであって、いまさら、この時代だけを「心の時代」と言うのか?
「心の時代」と声高にいう人たちは、そう言うことで、「心の時代」という商品
 を作っているではないか?等々だが、訪問者が色いろの遺物を持ち込んでくる。
 その中に花嫁姿の人形が年に十数持ち込まれる。10年もすれば百以上になるが、
 捨てるに捨てられないという。毎年、その人形に拝みにくる家族がいるからだ。
 その花嫁人形も、特注のものばかり。院代の話の奥行は深い。東北大震災で
 奥さんがお産のため実家に帰っていて、亡くなられたヤンキーっぽい若い人
 の話が、涙を誘う。ただ独りで来たが、哀しみが感じられなかったという。
 哀しむまで心が追いついてないのだ。本当の悲しみは時間とともにやってくる。 
 あっという間の二時間だった。30年前に行った恐山は、強烈な印象である。
 山鳴りと、硫黄の臭いと、老人が多く入っていた硫黄風呂。あちこちに

[5]続きを読む

05月19日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る