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堀井On-Line
by horii86
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■5537,閑話小題 〜閑なるままに・・
周辺の愛読者の同好会「木鶏クラブ・新潟支部」を立ち上げた。私自身は12年
ほど前から、会から遠ざかっていたが、現在でも続いているが、有難いことである。
最後に行ったのが一昨年の忘年会、去年は時が時だけに一年の喪?が明けた今回、
参加した。その前に、新潟駅構内にある家電のジョーシンと、ビックカメラに
寄ったが、土曜日もあって客で溢れていた。長岡と新潟の勢いの差は駅に出るが、
あまりに大きい。泊まろうと思ったが、22時半の最終新幹線で帰ってきた。
昔の仲間との邂逅は良いものだ。
* 自転車専門大店
昨日、新潟駅近くのイオン直営の自転車大店に行ってみた。100坪位の
店舗にビッシリ自転車が並んでいたが、やはり電動アシスト自転車が主流。
開店直後で、まだ軌道に乗ってないようだが、時代から見て時間をかければ
良くなるはず。まだ価格帯が10万円あたりだが、4〜5万円が爆発的に売れる
分岐点だろう。店長曰く「電気代が月に20〜30円」。一回分なら分かるが、
こんなに安いとは知らなかった。電動アシスト自転車に乗って二年半になるが、
本当に良いと実感している。道具一つで、自分の生活圏の広さが全く変わって
しまう一事例である。ヨガもそうだが、ポタリングを習慣にしてしまえばよい。
・・・・・・・
3700, ジャズについて −1
2011年05月13日(金)
ジャズ1000曲がパソコンに入ったため、常にBGMとしてジャズが聴こえる。
これに慣れると、もう無しにはいられないから不思議。そこで、ジャズとは、
そもそも何?と知りたくなって本棚をみると、たまたま三枝成彰著「音楽の本」
があった。 そこに丁度、私が知りたいことが、そのまま書いてあった。
【「黒人の民族音楽と白人のヨーロッパ音楽とが融合し、その結果、黒人を
中心としたブラスバンドから生まれたポピュラーミュージック」
「遅れて拍子を打つ黒人独特のバック・ビート(四拍子の一拍目、三拍目に
おくアクセントを二拍目・四拍子目にずらして演奏する)をリズムに持ち、即興
演奏を生命とする音楽」 ジャズという音楽を簡単に説明すれば、こういう
ことになるであろう。さて、そのジャズは二十世紀の初頭、アメリカ南部の港町
ニューオリンズで生まれるのだが、ここは十九世紀はじめにアメリカが購入する
まで、スペインとフランスが交互に統治していた地域だ。そこには、フランスや
スペインの白人と、西アフリカをルーツとする奴隷として連れてこられた黒人、
そして、その混血である「クレオール」が生活していた。クレオールはおし
なべて教育水準が高く、ヨーロッパに留学をしたり、ビジネスで成功するなど、
ニューオリンズではエリート層に入っていた。ところが南北戦争を受けて奴隷を
解放せざるを得なくなった南部白人層の不満は、黒人ばかりかクレオ一ルへも
向けられ、クレオールも人種差別の対象となる。
一方、ニューオリンズの黒人たちは、奴隷解放後、主に音楽に仕事を求めた。
南北戦争に敗れた南軍軍楽隊の楽器を古道具屋で安く手に入れた彼らは、祝祭
パレードや葬儀の行進などで演奏するブラスバンドとして活躍。とりわけ、
葬儀の際のブラスバンド行進は、ニューオリンズ名物として伝説化されている。
埋葬へ向かうときには悲しげな曲を、墓地から戻るときには死者の魂が天国に
迎えられるように明るい曲を。ジャズ史上最も有名な曲の一つ「聖者の行進」は、
そんな時代に生まれた曲だ。こうしたブラスバンドには、どのグループにも
何人かのクレオールがいた。白人社会から締め出された彼らは、同じ被差別層
黒人たちと一緒に仕事を始めたのである。音楽の素養があるクレオールは、
楽譜の読めない黒人に西洋音楽の技法の手ほどきをする。黒人はアフリカの
祖先から脈々と受け継がれている生来のリズム感覚を持っていた。
それが融合し、ジャズの生まれる下地ができあがったのである。
「ニューオリンズ(ディキシーランド)−>スウィングー>ビパップー>
クールー>ハード・バップー>フリー」 これがクラシックの歴史を振り返ると
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05月13日(金)
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