ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5536,閑話小題 〜地に足が着いた人生

   * ある地に足が着いた人生
 幼児の頃から、両親の勤勉さと仕事と人生に対する飽くなき姿勢をみて、
人生の何たるかを教えられ育ってきた。それは、「凡人だけには陥らないこと、
学び続ける必要性」である。戦前、戦中、戦後の激しい時代の変遷の中で、
10人の家族が生き抜くための生存本能が働いたのだろう。 
 無我夢中で15年間も、この随想日記も書続けてきたのも、50年以上も、
早朝の読書習慣を続いているのも、その幼児体験があったため。
その卑小な自分を、ある人物の人生の合せ鏡でハッとさせられた。
ある酒席で、同年齢位の隣人に、『職業は何やってこられましたか?』と問い
かけると、少し考えた後に語った人生とは、『当時の中卒は、金の卵といわれ、
集団就職で、ある大手メーカーに勤めた。殆どの同期は、仕事の後から、
夜間高校に通い、高卒の資格をとってから地方公務員を目指していた。
自分も同様、夜間高校に通い、地方公務員試験の勉強をして合格、消防士
になって、無事、定年退職し現在に至っている。消防だけでなく、救急も経験、
多くの人生を垣間見ることが出来た・・ 』と言う。
 昭和30年代半ばは、クラスの二割位が中卒で就職をしていったが、
夜間高校から地方公務員になったケースを身近に聞いたのは初めて知った。
「夜間高校出の消防士の平凡な人生が、どうした?」といえば、そうだが。
 その人生から、恵まれた家庭環境に育った自分の境遇に気づかされた次第。 
中学の同級の訃報の半分は中卒の人たち。学歴が上がるにつれて訃報数が
減るのは何故か? その目線から見た私の人生は、大甘もいいところ。当時は
中卒で働かなければならない家庭境遇の生徒が、同級に多くいた。振返りみて、
恵まれていた人生だったと痛感する。 私の一生は、恵まれた列車で、少々、
汗をかいた人生でしかない。 それからして、最後の思いもしなかった挫折は、
私にとって幸運だったといえる? いや、誰にでも最期は死という挫折が待つ。
それぞれに、それぞれの因縁があり、それを如何に楽しむか、志を貫けるか。 
娑婆世界は、面白可笑しく、哀しく、甘塩っぱい味がする! せっかくだから、
もっともっと楽しんで、味わい尽くしてから生前に戻りたいもの! 
 幸せな人は、何があっても幸せであり、不幸の人は、何があっても不幸!
心の奥で、どう折り合いをつけるかどうかだ。 そういうこと!

・・・・・・
5171,閑話小題 〜ボ〜ッとしたデカルトの時間
2015年05月12日(火)
   * ボ〜ッとしたデカルトの時間
 御隠居の生活に入って、早朝からスケジュールとおりに時間を過ごしている。
その時間の中で一番大事なのがボ〜ッとした時間。だが、それが過ごせてない。
ひとつ終わると直ぐ、次のスケジュールに移行するため。 以前もふれた事が
あるが、宗教学者の山折哲雄が、早朝30年続けてきた座禅で、無念無想を諦め、
この時間帯は、デカルトの「ものを考えている」と思いつき、全身が解放された、
という話にハッと何かを感じとった。 最近、パソコンや読書の合間に、何を
するでなし、意識的に弛緩した状態でボ〜ッとしている。考えてみたら、現役
時代は何時もしていたことだが、問題は意識してボ〜ッとすることだった。
 〜その辺りの記述を抜粋〜
≪ 朝3時か4時に起きて、毎朝一時間ぐらい座る。毎日香っている線香一本
 燃えるのにだいたい50分前後。その一本を闇の中でつける。その明りを
見ながら座る。道元が言っている「無念無想」なんてのになれるものならなって
みるか、なんてやっていたけど、ぜんぜん無の境地にはならなかったですね。
雑念、妄想とズ〜ッと戯れている。30年近くこれをやって、「俺はもうダメだ」
と思ったのが50代の終わりぐらい。でも、もう癖になっているからとにかく
朝は座るんです。で、あるときハッと思った。「無念無想になろう」と思うから
いけないのであって、「ものを考えている」と思えばいいじゃないかと。
あっという間に全身が解放されたような気分になってね。「俺は今デカルトを

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05月12日(木)
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