ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5535,魂とは、善なる方向に向かっていこうとする意思
ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より
≪ ――自分に実感がなければ、ひとを掴めるはずがない。
心の底からほとばしって、聞いているみんなの心を
ひたむきな感動で引っ張ってゆくのでなけりゃだめだ。
今日も明日も机にへばりついて、膠で接ぎ合わせたり、
他人の賞味したお余りでこった点をこしらえたり、
掻き集めた灰のなかから 貧弱な火を吹き起したりするのでは、
子どもや猿どもには感心してもらえるかも知れん――
それがきみらのお望みならばだ。しかし、真実、良心から出たもの
でなければ、けっして心に達するものではない。(ゲーテ「ファウスト」)
そういう声を聞くと、心を打たれると同時に、なるほどこの人はそういう
人かと、そこにたしかな一個の存在を認めるだろう。この人物には思想が
ある、と。すなわち思想とは、つまりその人が断乎としてそのように考え、
そのように生きる、その生き方の言葉や行動にあらわれたもの、という
ことになる。自分の生き方の全部を賭けた言動だけが、思想の名に値する。
そこから小林秀雄の、次のようなはげしい断定も出てくる。≫
≪ ――精神の状態に関していかに精しくても、それは思想とは言へぬ、
思想とは一つの行為である。 (小林秀雄『私の人生観』より)
口で言うのならどうにでもなる、とよく人はいい、これはとくにわが国では
支配的で、政治家の言口葉などはその標本のようなものだが、そんなふうに
言葉=意見を弄んでいる者は、ついに真の自己に達することはできないだろう、
というのである。なぜなら、ひとは自分がしんから正しいと考えたこと
(それはその人の生き方から出た必然の思想である)を口にする時、己れの
全存在を賭けてそれを言うのであり、それが周囲に認められ、あるいは
否認されることで、己というものを知るのだから。≫
▼ 11年間、ここで書き続けてきた効用は、この実感がないことは逆に、
書けないということ。だから出来事に直面したときの実感を、その場で文章化
して頭に残して置いて、記憶に残す習慣が出来てしまった。写真家は、シャッター
チャンスを待つが、その間、頭の中で、その場の光景の実感を文章化している。
写真に添えられている文章は、だから写真を引き立てる薬味になる。思想とは、
真実、良心から出たものでなければ、心に達しないのである。心にとどくのは、
自分だけの頭で考え、経験し、感じた実感である。読書日記より、書くネタが
なく仕方なく捻り出した「閑話小題」、「つれづれに」のテーマの方が面白いと
言われるゆえんである。
・・・・・・・
3698, 自己を見つめる −19
2011年05月11日(水)
「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
人生は、難しい。老いの時期に、それまで生きてきた過程で問題処理を
誤って置き去りにしてきた過去が吹き出てくる。これは万人に言えることだが、
肉体の衰弱と、精神の衰弱が、それに加速させていく。特に、現在、これまでの
家制度が崩壊、老後は、親子が支えあうシステムは消えようとしている。その中に
あって、自分(の世界)を長年かけて作っておくしかない。しかし、
「こんなはずではなかった、まさか!」が、人生である。
誰の身にも形を変えて、突然現れ出る。
* 老いについて ー� ーP272
【 こうして不動の英知を得た、落ち着いた老年は、死を覚悟しながら、
自分なりの人生のまとめを試み、知恵を磨いて、認識を深め、 哲学的知性を
研ぎ澄ます恰好の時期となる。キケロが言ったように、無分別は青春につきもの
であり、反対に、分別こそは、老熟に伴ってようやく熟成する。およそ、知性を
錬磨して、労作や仕事に励む老年には、老化は寄りつかないのである。老年に
なって恵まれた晴耕雨読の田園生活こそは、人間に幸福をもたらす。自然のなか
で草木を慈しみ、書籍を読んで知性を鍛える田園生活は、人間に精神の安らぎを
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05月11日(水)
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