ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5512,人類史上最大のバブルが弾ける時 〜②
  * 今の場所で快適に過ごす工夫を!  「知的余生の方法」渡部昇一
 余生を過ごす場所は、生れ故郷か、はたまた別荘地か、海外か、そのまま現在
住んでいる場所か、迷うところ。著者は、現在住んでいる場所こそ「ふるさと」
と思い、別荘地など考えずクーラーでも入れ快適にするなど工夫すべきという。
「住めば都」で、心地よく住んでいるところが、いなかと諭す。ーその辺りよりー
≪ P・94 英語では一般的に「ふるさと」は単にホームという。イギリス民謡の
『埴生の宿』の原題は‘Home,SweetHome’だが、このホームがそうだ。ホームは
単なる「住み家」「生まれた場所」という意味に過ぎない。そこから懐かしさを
伴って、「ふるさと」をあらわすようになり、「家庭」を意味するようになった。
だから、「ふるさと」と「家庭」が相通じ、切り離せない関係にあるといえる。
そこには父や母がいて、昔の日本の田舎でいえば、囲炉裏を囲んで話をする風景。
そのホームも、今では崩れつつあるようだ。 ローマ時代からの諺に
「自分がうまく生活しているところ、そこがホーム、つまり自分の「ふるさと」
「故国」という意味である。これは言い得て妙で、都会暮らしの生活者にとって、
救いになる言葉である。田舎から東京に出てこようが、海外に移住しようが、
そこで成功し、そこで良い暮らしをしていれば、その土地こそ「ふるさと」である。
都会でうまく生活しているなら、都会こそ自分の「ふるさと」と腹をくくるべき。≫
▼ 思い切り移住するのも悪くないが、そのまま居座るのが自然。私のように、
 ブラックスワンの御蔭で、肩身が狭くても、「平気で死ぬのが悟りでなく、
平気で生きてこそ悟り」と、自分に言い聞かせ、割り切れば別に何とことはない。
 ソフト・ランディングだったこともある。しかし、5億、10億の現金があれば、
軽井沢のマンションか、ハワイを考える。としても、現在と大して変わりはない。
いや、違うか! 天使の様に、肩に羽をつけ、浮いたように生きればよいだけ。
 フワフワ生活するのはお手の物。いずれにしても死んでしまうのだから、
今を楽しむしかない。場所は二の次? 改善でよい。
・・・・・・
4041, 世界の旅行記101 ー2
2012年04月18日(水)
  * 旅行記は事件簿でもある
 はじめにー旅行記を読むということーの冒頭が、旅行記の本質をついている
≪ 古今東西、旅をする人たち、旅を愛する人たちは無数に存在した。そして
 無数の旅行記、紀行文が書かれた。どうも旅という非日常の行動は、文章の
起草をはげしくうながすものらしい。いろいろの旅行記がある。任務をもって
旅したものであれば、復命書を。さだめなき漂泊の旅にでたものであれば、遍歴
の跡をしるす随筆を。どれも当の本人にとっては、記録としての重みは、ひとしい
だろう。だが、旅行記を読む側からすれば、自から興趣には軽重の差がある。
「読み甲斐」のある旅行記とはどんなものであろうか。まず考えられるのは、
旅そのものが、冒険や危険にみちている場合。 安穏として、ほとんど日常の
域を出ない旅とはちがい、未知の領域や未踏の領野をゆく旅は、つねに発見と
遊遁にみちている。ドキドキ、ワクワクの連続は、旅する本人とともに読者をも、
不安と興奮にまきこむ。探検記、踏査記が長らく愛読されてきた由縁である。
 旅は始点と終点とがある事件であるとすれば、旅行記は事件簿でもある。
そこにふくまれる小事件のつながりが、どれだけ起伏にみち、意外性にあふれて
いるかによって読者へのアピールはことなる。実際には、みずからその事件に
参画することは困難だが、そのアピールをうけいれ、旅行記とともに旅という
事件を追体験する。おそらくは、なにがしかの潤色がほどこされるではあろうが、
旅は現実に存在した事件であるだけに、迫真の体験が身にしみる。アームチェア
で葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に読みふけるものも、
旅行記から、かの体験をうけとるだろう。ときには、身にうずきを感じ誘われる
かのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。

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04月18日(月)
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