ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5511,閑話小題 〜二年で円の通貨量が二倍になったが 〜②
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3674, 自己を見つめる −2
2011年04月17日(日)
「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
私たちは人生の現実を経験を介して初めて知られてくる、経験をして
みなければ分からないのである。人生は、経験を通してその深みと広さを増す。
自分とは、経験してきた全てである。人生は様々な過去の追憶を返し、暖め
なおすことしか、事実上何処にも存在をしない。良質な経験の積み重ねこそ、
人生を豊かに、実りあるものにする。
ー 第一章 経験 の中より ー
哲学者・ダガマーは経験について3つの点をしてきした。
・まず第一に、それが誰も予見できず、見通せない仕方で生じてくる点である。
したがって、経験は常に新しさを含んでおり、経験がもたらす内実を、
まったく予測することができない。
・次に第二に、そうした経験の過程は、いつも否定的過程であって、実際に経験
するまでは、当の事柄を知ってなかったことを痛感させられるわけである。
つまり私たちは徹底的に、浅見や独断を捨て去らねばならないことを教えられる、
とガダマーは断じる。
・さらに第三に、それゆえに経験とは、本質的に、辛い不快なもの、期待の
幻滅を伴うものである。かつてギリシアの悲劇作家アイスキュロスが語った
ように、人間は、「苦しみをとおして学ぶ」のである。それが経験ということ
であり、こうして初めて人間は、真の洞察と自己認識を獲得するのだ、という。
要するに、経験をとおして、私たちは、あらゆる予見の限界と、すべての
計画の不確かさと、人間の非力さと有限性を、徹底的に思い知らされるわけ。
実際、こうした労苦にみちた経験を介して、私たちは、ほかならぬ自己自身の
人生の実相のただなかに立つことになる。そしてそれ以外に、どこにも人生
というものはない。私たちは、経験において初めて、自己自身と宿命的に向き
合うことになる。 経験のなかにこそ、自己自身があると言いうるゆえんである。
▼ 人生を振りかってみて、経験の中こそ、自分があると、つくづくと思い知る。
その境界が自分の限界であった。だから迷ったら、とにかく、一歩踏み出して
行動することが、自分を広く深くする。「自分を見つめる」とは、自分の経験を
見つめることと同じである。 経験して初めて、知るが、それは否定的過程を
踏む事であり幻滅を伴なう。 とはいえ、落語の与太郎では?
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3309, 笑われ力 −1
2010年04月17日(土)
「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修)
図書館で、この本を見つけた時に、「面白い!」と、直ぐに借りた。
「自分の失敗や欠点を笑い飛ばしなさい。それで既に自分を客観的に見下ろして
いることになる。」とは癒しの真髄であり、これまで「フン、この程度モノさ!」
と自分を笑い飛ばしてきた。 しかし、それを一冊の本として真正面から取組む
とは。お笑いのサンマやタモリが、この名人である。 実に上手に自分の失敗談
を取上げて、周囲の共感と笑いをとる。タモリが「電車で、もようして?
有名人なのでトイレに入りづらく、失禁直前に家にたどりついて、ホッとして、
ところが大爆音のガス一発だけ! あの1時間の苦労はなんだった? 」で、
場内、爆笑だったが、「笑われ」の典型的事例。誰も一度や二度は経験のある?。
私の知人でも、「笑われ力」を駆使して世渡りをしている人が何人かいる。
実に自分の欠点、失敗を披瀝をし、周囲の苦笑と共感を誘っている。自分より
知識や、経験の少ない人の前では可能だだろうが、同じレベル?の人の前では、
躊躇をしてしまう。 素の自分を曝け出し、相手を笑わせようというのだから、
基盤がないと出来るものでない。
まずは、アマゾンの ー内容紹介よりー ≪石原壮一郎≫
≪「心地良い人間関係」に「笑い」が不可欠なのは言うまでもないでしょう。
しかし、ウケを狙えば狙うほど、スベりやすくなるものです。まして、
人をバカにして笑っても「心地良い人間関係」は生まれません。そこで
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04月17日(日)
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