ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5322,閑話小題 ー5年前に、10年の余生と想定して
話題になったストーリー。ところで、もう亡くなってしまったが、前の会社の
取引先の営業の担当が創業当時から高校の後輩ということもあり、隙間時間に
暇を持て余していた私のところに息抜きに来ていた。ところが20数年前の
バブル崩壊直前に重い躁鬱病になってしまった。その症状のまま営業や知人先
に回るので、再発すると周囲から「彼が再発をした」と、電話が入っていた。
躁の時は、晴れやかに飲みに誘われ、しかし直前に断りの電話が入る。
鬱のときは、目が据わり今にも自殺でもしそうな暗い顔で、再発の報告と相談
に来ていた。 私も若い時から数多くの挫折体験をしてきたが、宗教書や
精神科学の本の言葉で、何とか危機を乗り越えてきた体験があるので、
痛いほど彼の悩みと症状が分かっていた。 その時に彼に言い続けたことは
≪ 躁鬱や分裂病などの精神病、精神症は心の風邪で何にも恥ずかしいこと
ではない。風邪をひいて恥ずかしい、という人はいないのと同じ。上司に
正直に現状を報告し、直ぐに医者にいって治療すべき。医者の言うとおりに
すれば、それ以上悪くなることはないし回復は最短になる。とにかく拗らせない
で治療すること。拗らせると廃人になり鉄格子の奥に隔離されることもある≫と。
15年間に大きな躁鬱の波は3〜4年に一度は来ていたが、その都度、
初めに飛び込んでくるのは私のところ。欝にしろ、躁にしろ、本人や奥さんから
状態を聞くと、それはすざましい。聞いているだけで背筋が寒くなる話しが
山ほどある。しかし瀬戸際の経験を重ねるうちに、自分で医者に行き、一時
入院をするようになっていた。会社は管理職からヒラになったが、最後まで
病気と付き合いながら職に留まっていた。「精神病」と「精神症」の境は、
他人に危害を加えるかどうか。その辺はギリギリでセーブをしていた。
彼の場合、多くの友人がいて、それを見守って許してくれる人間性があった。
営業先には病気を逆にネタにしてしまう逞しさもあった。その人も7年前に
癌で亡くなってしまったが、純粋で、面白い人であった。欝による失態も、
決して恥ずかしいことでも何でもない。 だからこそ書いている。
そういう経験があるので、この映画に感情移入をし、涙をしながら見入って
しまった。 歳をとると年齢に比例して欝が重くなっていく。
足腰の関節が痛くなり、何らかの成人病が出てくる。 欝になるな!という方が
無理な話。その中で、欝というトラの背中を如何に乗りこなすかと、割り切り
きった方が良策。 それから逆算すると、若い時から何らかの宗教に入っていた
方が良いことになる。私は子供の頃から仏壇前のお経だった。
次回は、映画の感想文・・
・・・・・・・
3485, エッセイ脳 ー2
2010年10月10日(日)
「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著)
ー著者のエッセイの基本要件を書き出してみたー
・A、自分の書きたいことを、 B、「他者がよみたくなるように」書く。
「何を」にあたる部分がA、「どのように」にあたる部分がBになる。
単純だが要諦である。 Aは、文章表現の動機になるが、エッセイは
読み手(公共)の納得の方が優先されなければならない。そのため、
「興味の持てる題材であること」と「読みやすい文章」が優先されなくては
ならない。そのため、ふつうの生活の中で、誰もが興味を持ってもらえる
題材を探さなければならない。
・そこで「テーマ」と「題材」の関係が出てくる。テーマは隠されていても
よい。したがって、タイトルにテーマを書く必要はない。テーマに合わせて
題材を選ぶか、題材の中からテーマを見つけ、タイトルをつける方法がある。
これは10年近い私の経験の中でも、度々していること。テーマは一般的、
抽象的だが題材は個別、具体的になる。
・エッセイも当然、起承転結がある。「(そういうことが)ある、ある、
へえ〜っ、そうなんだ」を目指している。「ある=起、ある=承、
へえっ〜=転、そうなんだ=結」になる。そして「へえっ〜=転」が、
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10月10日(土)
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