ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5254,下流老人
目的とする。 時には、治療者と夢に関連させて共に空想を膨らませたり、
昔みた映画やドラマの話しをしたり、突拍子もない話をする態度である。
それは、あくまで治療者の「癒し」につながる遊びである。それらの対談の中で、
その夢は単に、その人だけのものでなく、人類に普遍的なものだったり、時空を
こえた昔話だったり、神話につながることに気づくことで、孤独が癒される。
このように、イメージに忠実に寄り添い、深めることで、結果的に治療や変容
が生じてくるのであり、変容を起こそうと思ってはいけないのが、元型派の
基本的態度である。 > (『ユング心理学』福島哲夫著ーP・200)
▼ 患者の夢について、色いろな角度から深く語りあううちに、患者の悩みが
特殊なものでなく普遍的なものと気づくことから孤独感が薄らいでいく。
何ごとも肯定的に受けとめることが重要になる。〔イメージそのものを大切にする
元型派は、この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしていることが大切」〕
とあるが、考えさせられる。そのイメージと遊ぶように接すれば生き生きして
くるはず。神話は民族の元型である。その登場人物はキラキラ輝いていなければ!
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3417, 64歳の現時点で、感じること!
2010年08月03日(火)
最近、首相や、県知事、市長などをみていると、「何、これは!」と、
心の底から思うようになった。青年期にみた老人の捩れた言葉?が何だった
のか分かりかけてきた。当時は、「自分が、何も出来ないのに他人に対し
何故に背後から刺す言葉しか吐けないのか?」と、嫌悪感を持ったもの!
特に一生を無為に過ごしてきた人ほど、強くなる。ベルクソンが
「人生の歩みを進めれば進めるほど、私はわれわれがあまりに貧しいもので
あるのに気づく。偉人と呼ばれる人と、他の人々との間にはほとんど差はない。
特にいわれもなく与えられたものと、その時々の状況、あるいは人生の運と
いうものを除外するなら、差は少しもない」という言葉に深く納得する。
特に情報化がリアルに表出させる。ところで、ベルクソンは「時間と自由意志」
でアリストテレス以来の時間論に対して、画期的な反対論で一気に名前を高めた。
ベルクソンはまず、人間の意識によって時間を考えなおそうとした。
普段、我われが考えている時間とは、現在の一点を中心に過去へ未来へと空間化
され、直線のように考えられ、測れるものとされている。現に私も同じである。
アリストテレスもカントも、伝統的な時間論に従っていた。アリストテレスは
「以前と以後に関しての運動の数」、カントは「時間は人間主観に備わった形式」。
ベルクソンは、時間は、本来数えることのできない、はっきりした輪郭を持たず、
外在化する傾向も持たず、数との間にいささかの類縁性ももたない、継起
(数えることの出来ない感覚や感情の持続)であると、考えた。彼は、人間の
生を純粋に持続するものととらえた上で、その純粋持続こそ時間だと考えた。
純粋持続は意識に直接与えられる時間、内側から生きられた時間であり、
時間は、音楽のメロディを聞いているようにときのように、空間や世界から
切り離されて、徹底的に主観化され、内面化されている、とする。
演劇を観ていて時間を超越している感覚である。話は少し脇道にそれたが、
人生など結局は独りでしかない。偉人とかいうのも、所詮は、その時代の尺度
の評価でしかない。 それも時代時代に評価が変わっていく。
「人間は<よく生きること>ただ、それだけで充分」と思うように
なっただけ、歳をとった。
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3042,上杉謙信の家訓
2009年08月03日(月)
NHKの日曜日の大河ドラマは、この数十年来ほぼ見てこなかったが前回の
シリーズから転換した。今年の「天地人」の視聴率も良いと聞くが、上杉謙信
の精神が直江兼継を通して我われに伝わってくる。それが何かというと、
あまり知られてない。数日前もTVで上杉神社などを紹介していた。
そこで検索に「上杉謙信の家訓」といれたら、やはりあった。
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08月03日(月)
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