ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5242,他諺の空似 〜ことわざ人類学 〜①
月に一度は行っているシネマは二時間で千円、一時間あたり五百円なら充分に
価値がある。最近のシネマはデジタル化のため圧倒的に画面も音響も迫力があり、
別次元の世界に我々を引き込んでくれる。年齢もあるのだろうが、スナックや
居酒屋は、酒・肴などの飲み食いも入れてとしても一時間あたり千五百、二千円
からみると、圧倒的に映画の方が価値がある。現在の不景気、ネット化、デジタル
化で情報量が日ごと飛躍的に増えていることにある。大相撲や、プロ野球、
行楽地は現地まで行かなくても、家でパソコンやTVで、情報や、現場感覚が
実感できる。それも無料に近い値段で、である。スポーツ・センターも、よく
見ると、殆どマシーンである。映画も、現在では殆どデジタルでつくられている。 
考える時は考え、休む時は休む。その時に道具としてマシーンを使えばよい。 
・・・・・・・・
3405, この国の終わり ー2
2010年07月22日(木)
   * 考える遺伝子の不在 
 日本の現状に対して、殆んど誰も考えてない国家に絶望をしながらも、
何とかしたいという著者の気持ちが伝わってくる。これでも考えて生きてきた
つもりだったが、この数年来、何を考えて生きてきたのか反省しきりである。
10年来の哲学等の学習効果が少し考えに厚みが出てきたが、そうすると人生全体
に疑問を持つようになる。こと日本人全体をみれば、ほぼ99パーセントは考えて
ないように見かけられる。「考えて何になるの?」という質問が帰ってくるのが
落ちになる。 欧米、特に欧州では中学校の段階で哲学の授業があるという。
考えるとは、陸続きの他民族の侵略の恐怖や不安がああるからだ。それを真剣に
考える時に、それが立ち現われる。海に囲まれて当面の攻撃が考えられない
日本民族にとって、考える必要がそれほどないから、考えられないのである。
 ー 以下の、箇所は辛辣だが、的を得た内容である。ー  −P34 
要するに「脳が足りん」のだ。 考えるー、という脳の機能が、少なくとも他の
民族と比べ極端に欠乏している。猫でももう少しましに考えて行動しているのでは
あるまいか。 それは一方において、日本人があまりにも鋭敏で潤沢な「感じる」
という機能を持っているために、考える機能のほうが圧倒され、脳の土俵から
押し出されてしまったせいなのかもしれない。つまり右脳と左脳、ロゴスとパトス
の千秋楽の結果である。この事実への感慨は、母国の中の異郷、身寄りが一人も
いない九州の山中に住み着いたこの六ヶ月、日々ショックを新たにし、今日も
変わらず、修正できず、ますます強まる一方である。国家は芯の芯まで腐り果て、
民族は脳死状態で、植物人間化している、ということを、ほとんど誰も考えて
いないのである。いや、考えることができないでいるのだ。うすうすは感じては
いるらしい。そもそも思考力よりも直観力の鋭かった民族である。なにやら
日本の全体がおかしく、どこかが狂っていて、怖ろしい結果が近づいている、
といった漠然とした恐怖は、なんとなく感じてはいるらしい。何しろかつて
この国には起きようもなかった異常な犯罪は、それこそ日常茶飯といった感じで
起こり続けている。帰国してからのこの半年間でも、すでに数え切れない。 
あまりの立て続けさに、私も忘れるし、人々も覚えきれず、次々に忘れて
いくようだ。確かに世界中で犯罪は起きている。ニューヨークだって、パリ
だって、私が十八年暮らしたオーストラリアだって、犯罪は起きる。
しかし、これほどの異常な内容の犯罪は聞いたこともない。どこであろうと、
起きているのは「並みの犯罪」だ。並みの犯罪とは、犯人は、それがどんな種類の
犯罪であろうと、何かは考えている。どんなにバカな考えでも、異常な考えでも、
愚かな考えでも、邪悪な考えでも、要するに、ナニカは考えている。
≪恐慌以来の日本国家の存亡の危機に対し、国民の危機感の希少さに驚き唖然
 としている。それが考える遺伝子の不在としたら≫
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3030、卒業40年周年か〜 −2
2009年07月22日(水) 

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07月22日(水)
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