ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5163,「現象界」「理想界」とは何
言葉の力は大きい。大まかに、「読書日記」「過去の思い出」「現在の社会現象
と分析」「つれづれに」「箴言」「新たに知った言葉」などに分けられる。
「書くということは、書き続ける自分を維持するための行為」ということに
気づいている。思いを、印象を、書き出すということは一度、脳から文として出し、
吟味することになる。書く行為そのものが考えることになる。毎日、読み返し
11年分の自分に出会っているが、そこに自分の小さな歴史をみている。
もし書いてなく、完全忘却をしたら、元々、何も無かったのと同じでは?と思う
ことさえある。 実家の事業を5年足らず携わった時、気持ちの余裕が無かった
こともあり、写真も、日記も殆んど残っていない。書き残していたら面白い断片が
数限りなくあった。大変だったが自分の力が十二分に発揮できた時期だった。
このシリーズは心底では自分に120点。だから逆に書き残さなかったのが
良かったとも言える。 おいおい、その時のことを書くつもりだが・・
また人を傷をつけるのか? 毎日、書き出す習慣も慣れるとゲーム感覚になる。
ネタ切れの際(きわ)に常に立っているスリルと苦痛が逆に面白味を増す。
・・・・・・
3691, 自己を見つめる −13
2011年05月04日(水)
「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
* 運命について ーp226
【 ハイデッガーの言い方に従えば、私たちは存在の真理の「呼び求める促し」
の中に立たされていることになる。私たち人間は、そうした運命的なものの
呼びかけに聴従せざるをえない、あり方を、根底に宿し、それに聴従することに
よって初めて、真に生きることを果たしうるものというように捉えていった。
・・ 自己と歴史の由来を、その根源から聴き取って、それをその将来と結び
つけることによって初めて、人間は、自己の根底を見定め、生き方の根拠を探り
当てることができるようになると説かれたわけである。ここに、現代における
優れた運命思想の一つがあると言っても過言ではない。ハイデッガーによれば、
私たちは、この世の中に生きるときに、予期しえない形で「降りかかってくる」、
さまざまな「偶然」の出来事にさらされているのである。ということは、
人間は、出来事の出現をすべて見通し、それを支配することのできる神ではない
ということである。人間は、非力で、無力なのである。 しかし、それでいて、
人間は、自分なりの情熱と威力において、自己の本来的存在の証を立て、それを
刻み残そうとする。そうした覚悟のうちで初めて、立ちはだかる宿命的な困難と
格闘しながら、人間は、真の存在の呼びかけを、運命の声として聞き取りつつ、
それに聴従して本来的に実存しようとするのである。ここに、優れた運命思想が
あることはたしかである。 】
ー
「運命」について、考えさせられる内容である。(存在の真理の「呼び求める促し」
に立たされ、運命的なものの呼びかけに聴従せざるを得ない、あり方を、根底に
宿し、それに聴従することによって、真にいきることを果たしえる」
これが運命に従って生きるということである。これが本来的に実存しようとする
ことである。それぞれ天命、宿命、運命がある。その中で、運命は自分で切り
開いていくもの。 自分で真の存在の呼びかけを聞き取り、聴従し、実存しようと
することである。そうこう考えると、運命に対する見方が変わってくる。
自己の根底を見定め、生き方の根拠を探り当て、前に進むことが運命に従うこと
になる。それとて、下記のような虚無的見方からすれば、些細なことでしかないが。
・・・・・
3326, 人みな骨になるならば ー12
2010年05月04日(火)
この著書は、蓮如上人の「白骨の御文章」と「般若心教」の視点から、
当たり前と信じている日常の思い込みを一つずつ取上げ、その根拠を潰している。
何かにとらわれり、行きづまった時に、この書は、それが如何に取るに足らない
ことかを諭してくれる。葬式や法事で参列者全員がこの「白骨の御文章」を読経
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05月04日(月)
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