ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4906,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー1
そこではリンゲルによる極楽と、肉体の苦痛の地獄が混濁する。父親も、手術後の数日間は
苦痛の極みにあり、「あんなに苦しむなら、手術などしなければ良かった!」と死ぬ数ヶ月前に
言っていた。 手術の一年後に亡くなったが、最期は病室で独りで頭を掻き毟っている姿をみた。
「死んでいいから、どんどんリンゲルを打ってくれ」と、延命より、安楽死を望んだ。
また、私の4番目の姉の旦那が亡くなった時の、断末魔の苦しみの状況も、姉からリアルに聞いた。
最期は苦痛で暴れるのを、何人かで抑えて・・ 亡くなった。 数年に一度は、訳のわからない
新聞記者とか、検察が、断末魔の苦しみの末に、強いリンゲルとか何かで死期を早めたのを
聞き込んで、逮捕や刑事告発をするケースがある。ガンだけではないが死に際には苦しむ
患者の息を止めてやるのが、医師の役割。誰が苦痛の際で生きているより、早く解放された方が
良いのは当たり前のこと。死は誰にも平等に、思わぬ苦痛を伴いやってくる。人生は生きているうち!
美味い酒を飲んで、好きなことをして、後悔の残さないように生き、そして最期は、のたうちまわって
死ぬしかない。上手く死ぬのも芸のうち、など言っていられない。ホテルのバスにナミナミと水を張り、
睡眠薬をタップリ飲み、美味い日本酒を一升も飲めば楽に逝けそうだが。
まだまだあるが、こういうジョークは止めておこう。
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3059,逆説思考 −3
2009年08月20日(木)
* 「逆説思考」を逆説で思考してみよう。
まずは逆説思考の典型的事例は、フランクルの心理学である。フランクルが「夜と霧」で、
死と隣り合わせの日々で、コペルニクス的転換の心理転換が起こる。「人生に何かを求める
のではなく、人生が私に何を求めているか。生き抜いて愛する人と再会をし、自分の残してある
仕事をやり遂げること」である。人生が何を人に求めているか?
・創造価値(何かを創造することによって実現される価値)
・態度価値(人生でどうしようもならない究極の場面で態度を変えることで実現される価値)
・体験価値(何かを体験することで実現される価値。美しい夕日や景観を見て実現される価値)
これらを知るために、「本当にしたいことは何か」「夢は何か」「人生の目標は何か」をまず
追求すべきである。しかし、自分の人生は無意味という観念にとらわれた人にとって、その価値を
受け容れることが難しい。 それでは、どうするか! 「闘う」ことしか、自分の価値を創りあげる
ことができないのである。 人生に押しつぶされいる人は、「生きるのが辛くなっている」のである。
その「つらさ」については仏の哲学者ドゥルーズが原因を追究している。彼は「器官なき身体」
という生きることの実相を明らかにしている。我われは「欲望」と「欲求」によって動いている。
喉が渇けば水を飲むことによって欲求を満たそうとする。性欲も、食欲も、睡眠欲も、排泄欲もである。
しかし、それだけで人間は行動するわけではない。自動車がガソリンの補給と、ラジエーターの
水の交換だけで動くものではない。それは自動車が人間の目的のための道具であるのと同じく、
人間も、身体の生理的欲求だけでなく、「器官の欲求」を超えたところに存在する何かのありさまを
「器官なき身体」とドゥルーズはいう。
ー彼は以下のようにいう。 (*参考 「現代思想の使い方ー生きるのがつらいと感じた時ードゥルーズ」P176)
「闘いとは、反対に、力と力で補完し、自からの捕らえるものを豊かにするあの『器官なき身体』の生命力のこと。
赤ん坊が呈示しているこの生命力、すなわち、執拗で頑で飼い馴らしがたく、あらゆる器官組織的な生とは異なる、
そんな生きるー意志である。」それは、私たちの「存在そのもの」に由来する力であり、「存在そのもの」が
指し示し、進んでいこうとする方向性である。「存在そのもの」とは「生そのもの」と置き換えることが出来ます。
辛いというのは、その「生そのもの」の発露が何かで阻止された状態である。
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08月20日(水)
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