ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6891,読書日記 〜『自由への旅』 −3
一般のアメリカ人と解釈するのは間違っていると。 彼等は子供のときから
スポイルされ、幼児の頃から他人のなしとげたものを如何に搾取するかの訓練が
出来ている。そして、そのノイローゼ患者は、大衆に影響を与える。
この人たちが、心の基準のない日本人に与えた影響は深刻である。
日本人が経済的豊かさにあるに係わらず、幸福と感じないのは「心の基準」
を見失っているからでないかと指摘する。人が社会性を生み出すのは、
カレン・ホルティのいう「積極的感情」である。それが日本になくなって
いるのが、現在の日本である。日本の少子化と高齢化もあるが。 ーつづく
・・・・・・
5429,人生で最も大切な技術 ーI 苦悩と不幸の違い
2016年01月26日(火)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
* 苦しみと不幸の違い
ことにあたった時、〔幸福の状態とは、ポジティブ3に、ネガティブ1〕
と、自問自答すると、嫌な気分が早々に消えていく。良いことが続いたら、
〔今に、マイナスが起こるだろうが、敢えて受けとめる〕と、有頂天に
ならないよう気をつけてはいたが、これが難しい! で、この様。人生を
俯瞰すると、どん底の時節に素晴らしいことが集中していた。 苦しみ、
不幸には、安楽がソッと傍に控えて支えてくれている。当人は、それに
気づく心の余裕がないためだが、辛いときは心底、辛い!〜その辺りから〜
≪ 幸福と快楽の違いを考えたところで、心身の苦痛や苦難と不幸を区別
する必要がある。 苦難は外から被るもので、不幸は自らが作りだす。
サンスクリット語にドウッカという言葉がある。これはスカの反語で、
定義は、「不快な感覚だけに留まらず、究極的に厭世観にながる苦しみ、
痛みに対する基本的な脆さ、生きることが無意味で価値がない状態」と
なっている。 サルトルは著書『嘔吐』の主人公にこう言わせている。
【 もしも存在とはなんであるかと問われたならば、私は誠意をもって、
まったく無意味なもの、空虚な入れ物である、と答えたであろう。
私たちは自分自身に当惑し気詰まりな存在の群れであって、誰も彼も、
そこにいることの理由を少しも持たなかった。それぞれ存在するものは、
当惑し、なんとなく不安で、互いに他のものとの関係において余計なもの
である、ということを感じていた… ところでこの私もまた余計なもの
だった …これら余計な存在の少なくともひとつを消滅させるために、
自分を抹殺することを漠然と思い描いてみた。 】
自分がこの世から居なくなった方がいい、と信じることが自殺者に共通する
動機である。苦しみ(苦難)は、無数の原因によって生じる。中には自分の力で
何とかできるものもあれば、まったく無力のこともある。身体障害者として
生れたり、病に侵されたり、愛する者を失ったり、戦争や天災に巻き込まれる、
等の苦しみは不可抗力である。それに引きかえ不幸はまったく違う。
なぜなら、不幸は、外的な条件によって生じる身体的、道徳的な苦痛と
関連するとはいえ、本質的な関係はない。
四肢麻痺に関する研究によると、麻痺が生じた直後に大半の障害者が
自殺を考えるそうだが、一年後には10%だけが惨めな人生と考えているという。
残りの90%は、生きることの素晴らしさを考えているのである。苦しみを不幸
と解釈するのが心の在り方であるのと同様、それをどう理解するかを支配する
のも心である。世界観を管理、知覚、解釈する流儀をわずかに変化させるだけ
で、私たちの在り様が大きく変わるのである。移ろいやすい感情を経験する
仕方を変化させることが、気分と在り様を永久に変えることにつながる。
人間を悩まし続ける苦しみを消滅させることになるこの「治療法」は、
人間として生きるに最適な生気溢れる状態をもたらしてくれる。≫
▼ ネットで四肢麻痺を検索すると、
【いずれの場合にせよ,対麻痺では,上肢は健全なので,車椅子の使用により
日常生活を営むことがかなりの程度まで可能である。しかし,脊髄損傷が頸髄
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01月26日(日)
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