ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6826,閑話小題 〜幸福のパラドックス −2
で、明治のはじめに英語の「ソサエティ」を訳すに当たり、当初、「会社」と
した場合もあったが、やがて「社会」に落ちついたと教えられました。
しめすへん「社」という漢字の左側の部分は「示偏」で、これは神を祭る祭壇を
表すと聞いた覚えがあります。そして、右側の部分をなす土という字です。
つまり、「社」という字は土の上に神を祭る祭壇を作ることで、「会」という
字は人々が集まることです。「社会」という単語には、まず祭壇があって、
そこに集まる人々がいる。つまり、共通の神があり、それを承認する人の集団
が社会なのです。
・そして、「会社」は、「社会」の漢字の順序を変えただけ。しかし日本語の
「会社」の場合は、まずある目的があり、それを達成するために人々が作った
かなり人為的な組織ということになります。たとえば紡績会社なら、織物の
生産を目的に、金と技術と意欲を提供して集まった人たちの組織ということに
なります。それに対して「社会」は、自然発生的で人間が知的にその存在を
認めた組織ということになりましょう。そうやって考えると、「社会」と
いう言葉は、あくまでも知的な認識というか、人にとっての個々の知人関係
などがつくる人間関係とは、一応は無縁な言葉ということになるでしょう。≫
▼ ウィキペディアによると、{社会とは、人間と人間のあらゆる関係を指す。
社会の範囲は非常に幅広く、単一の組織や結社などの部分社会から国民を包括
する全体社会までさまざまである。社会の複雑で多様な行為や構造を研究する
社会科学では人口、政治、経済、軍事、文化、技術、思想などの観点から社会を
観察する。}とある。「世間」が身近な人間関係の広がりに対して、「社会」は
その範囲が広く、社会契約を含めた、構造と、その構成要素をいう。人生を
考えるとき、「世間」たる化け物を見据えておかないと、その一員に陥る
はめになる。それを避けるには、長年かけた教養が必要のはずだが… さて?
・・・・・・
5000,閑話小題 ー今日で5000回!
2014年11月22日(土)
* 随想日記も5千回に
気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に再び、
その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、
やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、
この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて
問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。
面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。
読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。5分遅れでアップ
できなかったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの!
学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、
殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書
で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをして
なかったことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳として
ネット上に公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりの
パソコン教室を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの
出だしの頃で、手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」
と、「分類」として続いている。そして7年前に、二つのフォロー用に始めた、
「はてな」のブログに殆どが移動していった。そのことに気づいたのが一月前。
13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、400人の閲覧に
なっている。もっとも、最大のファンは同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊!「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」
を、読み返すと分かる。 ーまずは初回からー
・・・・・・
6097,閑話小題 〜先日、信濃川土手の公園で
2017年11月22日(水)
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11月22日(金)
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