ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6779,閑話小題 〜今の時代に…何?
▼ 書き続けていると、そして、同月同時の過去文を読返していると、当時の
 己と、現在、読返し、時間をおいた自己対話が「自分」ということに気付く
ことになる。そこに年々、生まれ変わっている「自分」が見て取れる。知らない
人からみたら、今でも内面は激しく変わっているのだから、「大変な人」だが、
それが至極当然のこと。穴倉も、岩場の外の、内海も、外海も、大して変わりは
しないとはいえ… 少々、危険でも、外海も出ればこそ、何らしか、想像を
絶した世界が広がっている。

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6415,読書日記 〜神さまって、そもそも何?
2018年10月06日(土)
          『砂漠と鼠とあんかけ蕎麦』山折哲雄:五味太郎・対談
   * 神様はなぜ必要か
< 五味: 神様はなぜ必要なんでしょうか?
 山折: 対話者が必要なんだな。人間同士ではちょっとレベルを超えた対話者。 
    そういう上位のパートナーを人間は本質的に必要としている。
 山折: 母親と子供、父親と子供の関係で一番大事なのは、やはり聞くこと。
    それで解放されていく。仏教は、最終の重大問題にしたのではないかと。
 五味: 「人というのは罪を犯すものだ」という形で、それをどう救済して
    いくかという感覚で立ち向かうビジョンと、初めから殺すな、盗むな、
    何するなって止めていくタイプと、あります。
 山折: そう、殺すな、嘘いうな、盗むなという黄金律を守る流れと、
    聞いて聞いて聞くことに徹する流れと、二つあります。
 山折: 五味さんの胸をすくうような次の一言、
    「神さまは無神論者だと思いますよ」 これは本当に驚きました。…
    無神論者の神であるなら、宇宙の秘密を読み解くなど朝飯前のこと、
    ビッグバンに火を点けた張本人もまた無神論の神だったかもしれない。
 ―
▼ アラブ人用に、AC/610年にモハメッドがイスラム教を立ち上げた。
 その源流は旧約聖書があり、モーセの律法を行動規律とする。ユダヤ人を
神が選んだ民として考え、終末論とメシアの到来を信じる宗教。奴隷として、
エジプトに従属していたユダヤの民が脱出してイスラエルの地に帰国した、
その時からアラブの民と摩擦が生じ現在まで至っている。キリスト教は、
その亜流で、新約聖書の教えがある。仏教はインドの風土が生んだ宗教。
 
 ―
 山折: 砂漠の民は、考え抜いて手段を発見しないと死滅してしまう。
    風土に圧倒されてしまう。我々は何も考えなくとも、豊かに生活
    しているわけです。森と川、森の幸と、川の幸、これだけ恵まれて
    いるのは世界でも日本だけ。ものを考える必要が無い。
 五味: 翻って、生き抜くための精神力みたいな意味での宗教と、ぼんやり
    している時に出てくる宗教とは、似て非なるものですか。
 山折: 一神教というのは「信じる宗教」、天上の彼方に永遠の絶対神が
    存在するかしないか、それを信じるか信じないかが決定的な問題。
    だけど、我々の豊かな自然界が存在する世界では、そこに身をひたし、
    自然に共感していけば、充分に救われる。僕は、「感ズル宗教」と
    言っている。
 五味: そんなことを言っていたら、砂漠では死んでしまう。
 山折: ものを考える必要がない。だから感じていればいいわけ。
 ー
▼ アラブ人用に、AC/610年にモハメッドがイスラム教を立ち上げた。
 その源流は旧約聖書があり、モーセの律法を行動規律とする。ユダヤ人を
神が選んだ民として考え、終末論とメシアの到来を信じる宗教。奴隷として、
エジプトに従属していたユダヤの民が脱出してイスラエルの地に帰国した、
その時からアラブの民と摩擦が生じ現在まで至っている。キリスト教は、
その亜流で、新約聖書の教えがある。仏教はインドの風土が生んだ宗教。
人間は、何はともあれ孤独の存在。最期は死に直面し、絶望の中で死ぬ存在
である。死だけではない、何かを決断する時、孤独の際に立つしかない。

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10月06日(日)
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