ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6760,閑話小題 〜木島佳苗という生き方 ー1
少し違います。人間圏のリアルの側面としての社会については、絶えず
観察をして、世間という私の内部モデルを更新してます。・・
社会と交わるたびに、人間圏の諸々の情報が膨らんでいきます。すなわち、
内部モデルの細部が、どんどんできてくるのです。社会と関わるたびに、
世間というモデルが作り変えられるのです。 ≫
▼ 日本人、とりわけ地方の地域社会は、世間という長年積み重ねられた
 地域偏見が一種の宗教のように、それぞれを縛り付けて、それがバーチャル
であることさえ気づかず人生を終える。だからライフワークを持っていないと、
自分を見失ってしまう。バーチャルの世間に埋没すると、ライフワークの価値が
見えなくなる。だから、城下町は、文化度が高い人と、低俗の人との二極分化が
明確になってしまう。一般的に、低俗の人を世間というが、誰もが、どこかに
兼備えているから始末が悪い。それが年をとるにつれ老醜として露出する。
老いることは、恐しい! さらに、老いた群れは、醜く恐しい!
――
   〜次は、先日の文章から〜
  ハイデッガーの「世人」とは?
≪  * 日常性と非本来的な生き方
 ここで何度も、「世間」について書いてきた。成行きから、30歳近くで、
出身地にUターンをしたが、沈みこまない対策として、アウトサイダーに徹する
ことを決心して40年も経過した。 新潟市と長岡市の住職分離をしていたこと
もあり、世間様とかいう「世人」に最小の接触で済んだが、6年前から、住だけ
になり、生活環境が違ってきた。 周囲には、私も含めて「老人」の割合が多い。
「閑居」の「閑」の字のとおり、心の周囲に塀を囲み、厳格なほど?の日程を
熟すことで、何とか「門の中の木」の下、日々を過ごすイメージを保っている。
 そこで、役立つのが‘ハイデッガー’‘カント’‘ニーチェ’の哲学や、
‘ドラッガー’の合理主義の思想。 特に、ハイデッガーの「世人論」が良い。
地方だけでなく、それぞれの世界には「世人」が住む。知らずに、この「世人」
に毒され、一生を成す術を潰され過ごすことになる。
  〜ネットで、‘ハイデッガー’を検索すると…
≪・ハイデガーは、<我々は、常に自分の存在を考えて生きているわけではない。
 我々は、仕事やその他の関心事に気を取られ、自分がなぜ存在するのかを真剣
には考えない。我々は、自分が存在することを当然のこととし、その日その日を
他人や物(道具)との関わりの中で生きている>と。
 ハイデガーは、このような人間の日常的なあり方を「非本来的なあり方」と呼び、
人は自分の存在の意味を問うことなく日常性の中に埋没して生きているとする。
人間は、普段この日常性の中で、他人と同じように行動し他人と同じように
「物事を考える個性のない平均的な生き方」をする。
 ハイデガーは、このように他の人と同じように物事を考え、同じように振る
舞う人を、世人(das Man)を名づけている。世人という語は、固有名詞ではなく、
不特定多数の人々を表す普通名詞として使われている。世人は、いわば流行を
追っている人である。世人は、皆と同じ服装をし、皆と同じように振る舞う個性
のない人である。このことは、サラリーマンや制服姿の人たちによく当てはまる。
彼らは、ほとんど同じ服を着、いつものように決まった仕事をし、一日を、いや
一生を終えていく。世人は 人並みの人生を生きる。このような世人のあり方は、
ハイデガーの生きていた頃ばかりでなく、今日の社会にも見られよう。
我々は、社会の定めた規格に沿い、同じ言葉を喋り、人並みの着こなしをし、
人並みに振る舞い、人並みの生活をする没個性的な規格人間である。
 ・世人の特徴は次の二つにまとめられる:
@ 平均性 :シマウマのように同じ図柄の生き方
A 免責 :この語には、責任免除、責任回避という二つの意味が含まれている。
 この二つの特徴をもう少し詳しく述べていよう。
・平均性は、いま述べた通り、皆と同じように考え、同じように振る舞う
 規格人間の状態を指す。

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09月18日(水)
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