ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[384342hit]

■6752,閑話小題 〜何故にまた、巨大災害が続くのか?
ように、社会のなかで大きく目をひらき、耳をかたむける。そして、経験し、
感じ、考え、学び、そこから小さなヒントを得る。 その繰り返しのなかで
いつか自分にとって、本当に必要だとおもえるものが見えてくる。
だから、いま何をすべきかわからなくても、あせってその答えをだす必要は
ないとおもうのです。わからないのであれば、自分が好きなことに本気で打ち
込めばいいとおもうのです。そこにも必ずヒントがある。

若い命をかけて、メンフィス・ベルやマザー・アンド・カントリーに乗り
こむ乗組員たち。今日死んでしまうかもしれない彼らも、目の前のことに
全力をつくし、明日のために教えを請い、明日のためにアドバイスをする。
その姿から、どんな状況であってもすべては今にかかっているということを
学び、今日の名言『 未来とは、今である。』が心にきざまれます。  ≫


▼ 「何で、こんなことに全エネルギーを注ぎ込むのか?」
 私の場合、面白いという手応えと、充実感があるため。とにかく、書き
留めておけば、来年か、10年後の自分だけでなく、誰かが読んでくれる。
私にとって、「今こそ、未来そのもの!」 永遠である。

・・・・・・
5292,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ーF
2015年09月10日(木)
         ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
             〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
  * 私の物語、私が書かずに誰が書く
 一年前に50回に渡ってー「事業人生を決心して45年」の語り直しー
を書いていた。思い浮かぶままの書きなぐりだったが、傍目からみたら、
バイアスがクッキリみえていたのだろうが、それが、その時の私自身である。
それも他人に向けて書いた内容ではなく、自分自身の旅路をそのまま書き
残したもの。あとで余禄も書いてあったが。  〜その辺りから
≪ 我々は皆、それぞれの思考や感覚の癖によって歪められた主観世界に住み、
自分に都合よく書換えた物語を生きている。登場する他者たちもリアル世界
の存在ではあるものの、そのキャラクターは主観者によって解釈され色付け
されるため、被害妄想的な物語を紡ぐ者にとっては迫害者となる一方で、
同じ人物が別の人間の目には英雄的存在として映っていたりするわけである。
 したがって、どれが本当の物語なのかは誰にもわからない。いや、本当の
物語などないのかもしれないのだ。マリー・アントワネットやヘンリー8世と
いった歴史上の有名人物も、その語り継がれたエピソードを忠実に再現しても
なお、解釈のしようによってその人物像はいかようにも描かれ得る。
私は私の物語をできるだけ正直に書こうと心がけてはいるが、己の主観の歪み
からはどうしても逃れられないため、公正なる第三者(そんな者がいるとして)の
目から見ると、かなりバイアスのかかった物語になっている可能性も大いにある。
それを考えると「正直でありたい」などという‘夢'というか、途方もなく
誇大妄想的な万能感に基づく放漫な野望なのかもしれないのだ。
 だが、私はそれを承知していてもなお自分の物語を書かずにはいられない。
私の物語を私の視点で語れるのは、この世に私ひとりしかいないからだ。
私が書かなくて誰が書く、といった心境である。いや、ぺつに誰も書かなくて
いいけど。どうせくだらない物語だしね。 しかし私は、ただでさえ少ない
脳みそをぎゅうぎゅうに絞っては、必死で己を表現しようとしている。私が
「言葉」を諦めないのは、自分の物語を諦めたくないからなのかもしれない。
私が体験したこと、私が感じたこと、私が見てきた世界の風景を、ありのまま
に届けたい。それは何故か? 私は何を伝えたいか? おそらくこういうことだ。
 私が何者なのかを、私は知らない。自分が何のために生きたかもわからない。
そんな無知蒙昧な私が己の人生を通して、どのような答えに行き着くのか、
私とは何者だったのか、私の人生にはどんな意味があったのか、それを
読者に問いたいために、私は私の物語を書くのである。 

[5]続きを読む

09月10日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る