ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6749,読書日記 〜「魂の」思想史 ―4
青くなったり。しかし、猫型の主婦は、給料を持ち帰ってくれれば、我関せず。 
亭主は、リタイアー後も猫になりきれず、切れた首輪をつけたまま外をうろつく。 
元何某の肩書きなど何にもならない。リタイアをして新しい環境に直ぐに適応
するために、長年かけた準備が必要になる。
 以下の対話は、なかなか面白い。
≪ 天野: 猫型人間とか犬型人間とかいうが、誰にでも心の中に両方を養って
 いるじゃないかと。子供の頃は、だいたい猫型の方が偉そうにしているが、
 大人になって組織の中で働くようになると犬の方が成長していく。
横尾: 猫は、僕にとってアーティストの見本です。猫は妥協しないし、
 犬みたいに尾っぽを振らない。自分に忠実で、他人に忠実でない。
 アーティストは自分以外に忠実になっていけないのです。
天野: ぼくの場合ですと、二〇年前にふっと気がつい。自分の内側をのぞいて
 みたら犬ばかり肥大していて、猫は息も絶え絶えになっていった。動物虐待
 もいいところだなあと思って、それから犬的部分の猫に栄養を与えるようにして。
 そして猫が元気を取り戻してきたら次第に「なんで真面目に働いでばかりいたんだう。
 こんなことのたために生れてきたのか?」という思いがどんどん強くなってきたん
 ですね。そして、これって、多くの隠居候補の人に気持ちに近いと思う。
 世の中のルールに従うことも、あるいは働くことも大切なんだけど、でも隠居
 生活を送る上では、猫の自由をもう一度学びなおす必要もあってよいんじゃないか。
それで『猫の自由に学ぼう』を隠居大学の校訓その一にしたいと思ったんです。≫

▼ 私の中の犬猫は、首輪をつけたままの野良犬と野良猫。一応、自由に放飼い
 をしていたが、何時も喧嘩ばかりで、札付きの嫌な奴である。どうも酒を飲むと、
表立って出てくるから困ったもの。 青年期までの猫、成年期の犬、そして老年期
に猫に戻るという説が何とも珍妙である。両者とも野生動物を人間に都合の良いよう
改良されたもの。「犬は家につき、猫は人につく」というが、今さら男は新しい
人間関係の構築は難しい。縦社会で生きてきた男達は、横社会には向いていない。
家では嫌われ、紐のきれた首輪をしたまま街中を彷徨うか、猫を被るしかない。
 誰?それ!

―――ー
2015/10/13
野良猫と、飼い猫、どちらが幸せ?

 飼い猫と野良猫、どちらが幸せだろうかを考えるとき、野生ライオンと、
動物園のライオンの、どちらが幸せかを考えれば直ぐ答えが出るだろう。
初めてケニアのサファリ・ツアーで、野生ライオンを見たときの驚きを今でも
鮮明に憶えている。動物園のライオンと全く違ったサバンナの野生ライオンは、
全身張詰めた緊張でオーラが漂ったような空気を張巡らせた。
動物園のそれは、緊張感のない、虚脱した飼犬のような動物。猫は数千年かけ
野生の猫を、飼い猫に人工的につくられた。そのため、飼い猫と野良猫を比べ、
飼い猫の方が遥かに、長生きするし、適応しやすい。飼い放しの外猫と、
卓上の猫と、どちらが「猫らしい」のか考えると、難しい問題になる。
このことは犬にも言えるが、話が長くなるから止めておく。
 で、人間の生き方を、飼い猫か、野良猫の生き方から考えると面白い。
人間が人間たらしめているのが、「言葉」という情報手段の獲得である。
そして、それを記録する「文字」の発明。これで間接情報を子孫代々に
書き送ることが可能になった。そして、今ではネット時代である。
それが、プラス面だけでなく、マイナス面でも働くため、問題は大きい。
人間は元々野生猿が進化した生き物。野生猿と、文化的側面を持つ人間の
両側面を持つ存在である。結果として、文明・文化を身に付け、本性は野生味
を持って人生を全うする生き方が人間らしい生き方になる。 人+間で人間。
人の間で生きていくしかない。 野良猫の世界では、猫間の自然ルールがある。
飼い猫のように御主人様の顔色を窺がっていればよい世界とは違う。まずは餌!

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09月07日(土)
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