ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6267,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −3
「いい人」をやめて、ご兄弟と同じように「ろくでなし」になることです。
そこで、私の提言はただ一つ。一度みんなを集めて、「俺だけおふくろの面倒を
見るのはおかしい!」と大声で叫んでみてはどうでしょう。「もう介護はやめる!」
ときっぱり宣言してはどうでしょう。つべこべ理由を言う必要はない。ことの
おかしさは、どんな「ろくでなし」にもわかるはずですから。一度、そういう
修羅場を経由しなければ、そしてみんなが全身ひりひりするほどの痛みを覚え
なくては、何も変わらない。もっとも、あなたがどうしてもそうしたくない、
そういう勇気がないというのなら、仕方ないですね。お母さんが死ぬまで、
あなたは介護を続けるしかないでしょう。お母さんを恨み、ご兄弟を憎み、
そして自分を責めて生きるしかないでしょう。≫
▼ 介護には、周囲の無理解がついて回る。「まだらボケ」が、その一つ。
第三者が居るときには、緊張が入った正常状態に近いため、痴呆症の人との
同居経験がないと、「聞くと見ると大違い」と、勘違いをしてしまう。
で、「ろくでなし」と決め付けられる。 当人は今さら何をか!
私自身を振り返ると、見えてくるのが、「ろくでない」「いやなやつ」の影。
・・・・・・・
4064, 思想とは
2012年05月11日(金)
* その人の思想とは一つの行為である
ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より
≪ ――自分に実感がなければ、ひとを掴めるはずがない。
心の底からほとばしって、聞いているみんなの心を
ひたむきな感動で引っ張ってゆくのでなけりゃだめだ。
今日も明日も机にへばりついて、膠で接ぎ合わせたり、
他人の賞味したお余りでこった点をこしらえたり、
掻き集めた灰のなかから 貧弱な火を吹き起したりするのでは、
子どもや猿どもには感心してもらえるかも知れん――
それがきみらのお望みならばだ。しかし、真実、良心から出たもの
でなければ、けっして心に達するものではない。(ゲーテ「ファウスト」)
そういう声を聞くと、心を打たれると同時に、なるほどこの人はそういう
人かと、そこにたしかな一個の存在を認めるだろう。この人物には思想が
ある、と。すなわち思想とは、つまりその人が断乎としてそのように考え、
そのように生きる、その生き方の言葉や行動にあらわれたもの、という
ことになる。自分の生き方の全部を賭けた言動だけが、思想の名に値する。
そこから小林秀雄の、次のようなはげしい断定も出てくる。≫
≪ ――精神の状態に関していかに精しくても、それは思想とは言へぬ、
思想とは一つの行為である。 (小林秀雄『私の人生観』より)
口で言うのならどうにでもなる、とよく人はいい、これはとくにわが国では
支配的で、政治家の言口葉などはその標本のようなものだが、そんなふうに
言葉=意見を弄んでいる者は、ついに真の自己に達することはできないだろう、
というのである。なぜなら、ひとは自分がしんから正しいと考えたこと
(それはその人の生き方から出た必然の思想である)を口にする時、己れの
全存在を賭けてそれを言うのであり、それが周囲に認められ、あるいは
否認されることで、己というものを知るのだから。≫
▼ 11年間、ここで書き続けてきた効用は、この実感がないことは逆に、
書けないということ。だから出来事に直面したときの実感を、その場で文章化
して頭に残して置いて、記憶に残す習慣が出来てしまった。写真家は、シャッター
チャンスを待つが、その間、頭の中で、その場の光景の実感を文章化している。
写真に添えられている文章は、だから写真を引き立てる薬味になる。思想とは、
真実、良心から出たものでなければ、心に達しないのである。心にとどくのは、
自分だけの頭で考え、経験し、感じた実感である。読書日記より、書くネタが
なく仕方なく捻り出した「閑話小題」、「つれづれに」のテーマの方が面白いと
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05月11日(金)
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