ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[384803hit]
■6197,閑話小題 〜氷の謎 −6 『クラウド時代の思考術』
談話は、事実を語る手段ではなくて、ある目的を達するための手段にもなる
と彼女は主張する。そしてその目的の一例をあげた。
<たとえば相手に何かを思わせ、自分へのアクションを起こさせるため。
自分を好きに思わせるため、頭がよい、しっかりしていると思わせるために>
その意味では、対話の目的とは事実を伝えることではない。印象をつくりだす
ことだ。だから話の正確さが二の次で、印象操作が優先されがちになる。
…(略) 要するに、私たちは自分の嘘を本気で信じるようになる。に関らず、
このプロセスが自分の中で進行していることには気づかないのである。≫
――
▼ バケモノはバケモノ。とって喰われないための自己防御に一生を費やし、
人生を終える。それも人生。決して、非難は出来ない。世間人の世間話とは、
所詮は、こんなもの。地区内炎上が日々、漫画的に行われている。
カルフォルニアのロスの中華街の中国社会を例にとると解りやすい。
中華街の常識は、そこだけの世界のこと、街を一歩出れば、それは非常識。
コスプレのような「印象操作」で、娑婆と競い諂うのも、面白いが…。
後記)偶然だが、4年前の文章に文脈が丁度良くつづく。そういうこと!
・・・・・・
4368, 歳を取りそこねる人たち ー2
2013年03月02日(土)
「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち」春日武彦 (著)
「老いると独自の当惑や釦の掛け違いによる問題、恥や失望や悔しさが待ち
受けている」というのが本当のところ。そして最期は死ぬのである。
その中で幸福であるために、幸福とは何かを常に自省しなければならない。
* 幸福のふたつの文脈
≪ 近頃の私は、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになった。
・ひとつは日常における安寧とか平和とか、つまり波風の立たない平穏の毎日
である。それは往々にして退屈に感じたり、無価値に映る。だが、大病を
患ったり危機の状況に追い込まれると、つくづく【当たり前の日常】
の有難さに気づく。現代社会における大問題として、年齢を重ねたなりに
淡々として、維持していく筈の【当たり前の日常】が、老人にとって
手の届かない危惧が挙げられてないだろうか。
・幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、
楽しいこと、満足感を得ること―― そのよう躍動的で高揚感をもたらす事象
との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとって十分喜ばしい
ことが、別の人にはむしろ物足りなさや悔しさを惹起することなど幾らである。
こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを
告げる日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、
窓の向こうに見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とが
まったく同じ赤であったことに今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、
学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、
そういったもので十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。ガッツポーズ
をしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を
感じ取ることができる。それが年寄りになることの醍瑚味だと信じてきた
(へいや、今でも信じている)。… ≫
▼ 幸福とは、当たり前の日常を受け入れる「受容」と、驚き、楽しみ、
満足感をえる「新鮮な事象との出会い」にある。自虐的な性格もあり、
倒産すら楽しんでいた自分がいる。ならば、老いていく自分を楽しむには、
これは最適。 ー次のアマゾンのレビューが解りやすいー
《 老いるとはいかなることか、そのかたちの探求を試みる。自己の人生の
なかで出会ってきた様々に個性的な老人たちや、小説に描かれた味わい深い
[5]続きを読む
03月02日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る