ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6178,閑話小題 〜ソウルダスト
下降感覚のどちらが、その人の理にあっているか…
日本に、浄土宗、浄土真宗が多いのは、四季の差がハッキリしている気候に
合わせ生きるしかない自然条件の摂理のため。下り坂最高と諦念しても、
凡夫の自分を慈しみながら最期は消える運命。 〜その辺りから(p115)
≪ 仏教思想の中にも上昇感覚と下降感覚との二つの対照的な傾向がある。
・上昇感覚の仏教とは
悟りを求める仏教がある。
即身成仏をめざす仏教がある。
立正安国をとなえる仏教がある。
天地自然との合一を願う仏教がある。
六道輪廻からの離脱をうたう仏教がある。
それぞれに修行をつづけ、人格の向上と真理への飛躍をめざす仏教だ。
これらの正統的仏教は、いわば上昇感覚の世界だろう。みずからを
高めていく仏教だからである。
・これに対して、下降感覚によって成り立つ仏教をあげれば、浄土宗、
浄土真宗だろう。浄土宗は、法然を宗祖とする。浄土真宗は、親鸞である。
この両者は、ともに念仏による救いをめざす仏教だ。その前提が末世である
前提だ。…(略) 最低、最悪の時代が「いま」である、という自覚は、
まさに下降感覚そのものでないか。…(略)
その最悪の「われ」をみちびいてくれる唯一の道がある。それが阿弥陀仏
と仏を信じて、その名を呼ぶことだ。それが念仏である。念仏を唱える前に、
この時代は末世と確認する。そこに生きる自分を、最悪の凡夫として認める。
そこから出発するということは、人間存在の最底辺に下降していくことに
他ならない。…(略)
光を求めるために、頭上をあおぐのではなく、うつむいて自己の内面を
凝視する。悪の自覚から出発するということは、まさしく人間存在の底辺
への下降にほかならない。≫
――
▼ 『南無阿弥陀仏』とは、南無(頼む)、阿弥陀様! と自然に身を委ねる。
そうとしかならないなら、初めから自然の法則に従えばよい。大乗仏教の
教えである。オートバイで目的地に向かうより、仏様仕立てのバスに乗り、
念仏を唱えて生きていく生き方。 私の体質は、上昇感覚が強いためか、
オートバイで独りで向かう方が、私らしい… それも死ぬ瞬間、プッツン。
老いてこそ知ることがあるが、基本として下降感覚に支配される。それに
抵抗するか、自然に身を任せるか。たそがれ時の宴も、それはそれは良い。
スポーツジムで、外観から観察すると、生きている限り上昇感覚は必要と
思うが。 80歳半で亡くなった従兄の葬式に参列していた、やはり80歳の
従兄弟が典型的な下降と、上昇感覚の持ち主だったが、生き様が、そのまま
現れ出ていた。恵まれた人生には上昇感覚があり、愚痴・悪口の多弁の人
には、恵まれてない人生がみられる。この人をみて、無知からくる不幸は、
重罪と思うが、合せ鏡か!人にもよるか… 同じ空の下、泣いて笑えばいい。
・・・・・・
4716,「余命3カ月」のウソ ー1
2014年02月11日(火)
ー「余命3カ月」のウソー近藤 誠 (著)
ーアマゾン・内容紹介ー
☆「進行性胃がんで、余命3カ月です。今すぐ手術を」医者にこう言われたら、
あなたなら、どうしますか? 本書を読めば、余命宣告のカラクリと、
がん治療の真実がわかること間違いなし! 医者のすすめる「がん治療」で、
あなたの余命が削られないように、話題沸騰の近藤誠医師が余命宣告の
ウソにメスを入れた1冊です。
☆ 歩いて通院できるほど体力のある人間が、ある日突然「余命3カ月」
と診断され、手術や抗がん剤治療の挙句、本当にあっけなく死んでしまう
―このような悲劇を身の周りでも見聞きされていないだろうか。
実は、余命宣告の多くはいいかげんである。治療が命綱の医者にとって、
余命は短く言うほど「うまみ」が増すのだ。余命を告知される病気は、
圧倒的に「がん」が多い。がんの本質に迫り、余命宣告のウソを
暴くことで、患者本位の治療を提言する。
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02月11日(日)
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