ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6162,閑話小題 〜キツネとハリネズミ −1
である、ということを感じていた… ところでこの私もまた余計なもの
だった …これら余計な存在の少なくともひとつを消滅させるために、
自分を抹殺することを漠然と思い描いてみた。 】
自分がこの世から居なくなった方がいい、と信じることが自殺者に共通する
動機である。苦しみ(苦難)は、無数の原因によって生じる。中には自分の力で
何とかできるものもあれば、まったく無力のこともある。身体障害者として
生れたり、病に侵されたり、愛する者を失ったり、戦争や天災に巻き込まれる、
等の苦しみは不可抗力である。それに引きかえ不幸はまったく違う。
なぜなら、不幸は、外的な条件によって生じる身体的、道徳的な苦痛と
関連するとはいえ、本質的な関係はない。
四肢麻痺に関する研究によると、麻痺が生じた直後に大半の障害者が
自殺を考えるそうだが、一年後には10%だけが惨めな人生と考えているという。
残りの90%は、生きることの素晴らしさを考えているのである。苦しみを不幸
と解釈するのが心の在り方であるのと同様、それをどう理解するかを支配する
のも心である。世界観を管理、知覚、解釈する流儀をわずかに変化させるだけ
で、私たちの在り様が大きく変わるのである。移ろいやすい感情を経験する
仕方を変化させることが、気分と在り様を永久に変えることにつながる。
人間を悩まし続ける苦しみを消滅させることになるこの「治療法」は、
人間として生きるに最適な生気溢れる状態をもたらしてくれる。≫
▼ ネットで四肢麻痺を検索すると、
【いずれの場合にせよ,対麻痺では,上肢は健全なので,車椅子の使用により
日常生活を営むことがかなりの程度まで可能である。しかし,脊髄損傷が頸髄
に生じたり,末梢神経や筋肉の病気が下肢だけでなく上肢にも生ずるような
ことがあれば,上肢も下肢も運動麻痺を生じ,四肢麻痺となってしまう。
四肢麻痺は左右の上下肢がすべて運動麻痺に陥った状態であり,頸髄損傷による
ものでは,下肢の痙性対麻痺に上肢の弛緩性麻痺が加わって生ずるものである…】
とあった。この状態で、90%の人が生きることの素晴らしさを感じているとは!
四肢麻痺は、動物から植物(人間)へ移行するようなもの。その状態を瞑想と
内的変化で割切らざるを得ない結果、生きることの幸せに気づくののか?
急に盲目になったり、四肢麻痺になったとしたら、死にたって当然だが、
一年で90%の人が、これ以上ない絶望の淵から逆照射した諦めの心境が、
その事態を受入れる、強烈な力が湧き出るためである。
〜〜
4700,閑話小題 ーシネマの観客は、私一人!
2014年01月26日(日)
* 映画館貸切?の念願成就!
映画館を、一人貸切ってみたいと思っていたところ、奇しくも、
その思いが成就。一度、上映の直前まで一人だったが、数分前に5〜6人が
入って来てガッカリしたことがあったが・・ 一昨日は、4〜5百人の会場に
私が一人だけ。 その感想は、映画に集中できるのがベスト。
内容は、宇宙もの『エンダーのゲーム』で、期待してない分だけ、面白かった。
若者のゲームの物語に参加して、手軽に自分の枠を超えて宇宙に開放される
感覚がよい。一晩、飲みに出歩いたと同じぐらい?
とすると、一割以下のコストは価値がある!
* 近所の喫茶店
二度目になるが、一昨日の午前中、近くのチェーン店の喫茶店
『米田コーヒー』に行く。一〇時過ぎから一時間半いたが、11時までは
トーストと卵がサービスでつくためか、広い店内は満席。何か落ち着くのは
何だろう? ほぼ老夫婦か、中年女性づれ。それが昼飯かわりになって
夕方まで腹持ちがした。100席+別席で150席。値段は400円なら、
価値がある。コーヒー・パンレストランという風。
* ウィリアム・ブレイク の詩が良い!ー『無垢の予示』より
人の定めとしての喜びと傷心、希望と絶望、幸と不幸・・ まさしく、
これらを「正しく知ったとき」、私たちはこの世を無事に進んでいける。
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01月26日(金)
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