ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383045hit]

■6022,閑話小題 〜パノプティコンとは
驚かせた人々がずっとやっていたような口先だけのコミュニケーション作法
をすっかり忘れていたのだった。 だが、諸君、私は問いたい。
言葉が自分の想いや考えを伝えるものでなく、適当に相手をごまかすための
ものならば、我々は他人の言葉の何を信じればいいのか。そして、そのような
口先コミュニケーションが世間一般の常識なのだとしたら、「誠実さ」とは
いったい何か。そんなものは幻想なのか。少なくとも私は心にもない言葉は
絶対に言わないように心がけてきたし、たとえ相手にとって耳触りが悪くても
伝えるべきことはきちんと伝えてきたつもりである。それが「誠実さ」だと
私は思っていた。だが彼ら彼女らはそんな私を「幼稚」で「無神経」な人間
と思っていたようだ。 まあ、確かに「無神経」なのは認めよう。こんなにも
人の気持ちがわかってなかった私が繊細な感受性など持ち合わせているとは
思えない。しかし、それなら彼ら彼女らは、人の気持ちがわかっているのか。
少なくとも彼らは私が本気で語ってきた言葉を一切理解してなかったし
信用してもいなかった。私がどれだけ本気かわかっていなかったのだ。
彼らは私のことも自分たちと同様の口先人間だと思っていたのだろうか。
ならば、彼らはまったく私という他者を理解していなかったことになる。
そんな人たちに「人の気持ちがわかる」はずがないではないか。
彼らは私などより遥かに「空気の読める」人々である。だが、空気が読める
からといって、人の気持ちがわかっているわけではなさそうだ。(略)・・
・・ 私にとっては無意味な人間関係だが、それで彼らの世界が回っている
のなら、それでよかろう。永遠に空気なるものを読みながら、中身のない
価値なき言葉を吐き続ければいいのである。それが君たちの入生だ。
そして、そんな君たちの人生や処世術に、私は何の関心も持てない。
念のために言っておくが、私は彼らの人生に価値がないと言っているのでない。
彼らの人生には彼らなの価値がある。ただ、その人生においては、言葉に
価値が与えられてないだけ。彼らは言霊のない世界に住んでいて、そこでは
空っぽの言葉が行き来している。が、おそらく言葉ではなく別のものに
価値があるんだろうから、それはそれで、いいんじゃないかと思う。≫
▼ 死の間際から生き返り、改めて身辺を見たときの澄みきった感覚は、
 4年前の経験や、過っての色いろ味わってきた。 「うさぎちゃん」が
怒っているのも、彼女の、それまでの脇の甘さからくるもの。世の人は、
大体が、この程度のものと達観すれば、そこに慈愛が湧き出てくる。
それだけ、世人は口先人間が、目先で、口先で、空っぽのことで騒いで
いるに過ぎない。それを怒るとは、彼女自身も、同類になってしまう。
しかし、それらの多面をとらえて、全身で受け止めるのも彼女だからこそ。
『よくぞ、書いてくれた!うさぎちゃん』である。でもアフォか! 誰が?
・・・・・・
4926,パワレルな知性 ー4
2014年09月09日(火)
  * カフェという集い −B   『パワレルな知性』鷲田清一著
 カフェといえば、TV番組の中にカフェ方式をとったのを幾つか見かける
ことがある。特に日曜日に多いのは、休日の居間をカフェに見立て、気楽に
一週間分のニュースを異種の人たちの対話を通して楽しませるため。
関西系の『そこまで言って委員会』『サンデーモーニング』『笑点』、
がそれ。知らないうちに、視聴者が、その場に居るような感覚になってしまう。 
そこでは、テーマを提示して、異種の業界の人たちに議論を面白おかしく進行
させ、楽しませるキャスターの役割が大きな要になる。 レギュラーには、
それぞれ役割があって、本人も、それをわきまえ対話に参加する。
バラエティ番組も、その傾向があるが。視聴者の多くが、非専門家を前提に、
各種専門家の議論を楽しませるのだから、出演者たちは大変のはず。
グローバル化とは、「多文化共生」になること。 カフェに似た文化に、
イギリスならパブ、スペインならバール。バールは、イタリア、スペイン

[5]続きを読む

09月09日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る