ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5925,閑話小題 〜「あきらめる」健康法
まともな市民としては生きていけない。哲学で行き詰ったら、後は死ぬしかない
と思い、泣きたくなるような気分だった。 それがまもなく現実になった。
法学部を捨てて先生の所属する教養学科の科学史。科学哲学分科に進学するや
否や、私は深刻なノイローゼに陥った。現実の哲学に失望したわけではない。
哲学は、そして先生はますますすばらしい存在として私に迫ってきた。だが、
だからこそ、自分に絶望した。そんなにすばらしい世界が与えられたのに、
それを充分活用できない自分の愚かさ、無能さに絶望したのである。
蛆虫のような老婆を殺した瞬間に、自分もまた蛆虫だと悟った『罪と罰』の
ラスコーリニコフのように。俺は誤解していた、分不相応の高望みをしていた、
俺は真理のために生きることなぞできないのだ、俺はやはり蛆虫として真理を
横目で睨みながら何もわからずに死ぬほかないのだ。そう思った。そう思って、
自分の浅はかさを嘆きながら引きこもり、死ぬことを考えていた。
ずっと後になって、奥様から「あの頃たびたび、主人は中島君自殺するかも
しれないと言っていました」と聞かされた。そんな苦しい時でも、私を哲学
へと「誘惑した」先生を瞬時も恨んでいなかった。ただ、せっかく見込んで
くれたのに、こんなテイタラクで申し訳ない。そのために死のうかと思った。
それからいかにして「治った」のかは、長い話になるので割愛する。
とにかく、私は門下の仲間たちとはよほど違って不思議なほど転び、蹟き、
滑りながら、哲学を続けている。といって、私は先生に普通の意味で
「感謝している」わけではない。私が駆け込み寺のように先生のもとに身を
寄せてから、本当に辛くきつい人生が待っていた。だが、私はこうしか生き
ようがなかったのだから仕方ない。先生との出会いも運命であり、私が哲学
を志すと「そこに」先生がいたのだ。 先生は私の恩師であろうか?
いまさら「恩師」などと言えば、「私は中島君の師であったことなどない」
と切り返されるであろう。そうなのだ。私が先生を、一番煩わせた問題児で
あったとは確かであるが、先生は私の恩師なのではない。私は先生に哲学とは
こういうものだということを教えてもらったが、その後いまに至るまでその通り
のことをしていないのだから。だから先生は権威・権力におもねることを蛇蝎
のように嫌った。『哲学の教科書』がベストセラーになり、わずかの褒め言葉を
期待して勇んで病院に見舞いに行った時、「もう少ししたら何か言います」
と言われた。だが、何も言わずに死んでしまった。これもずっと後から聞いた
話であるが、私がウィーンから帰ってきて人より十年も遅れて駒場の助手に
なった頃、「今度帰ってきた中島という男は難しい所もあるが、どうか寛大に
見てくれ」と哲学仲間に訴えていたという。何も知らなかった。涙が出る思い
である。それほど気にかけてくれた先生は、物書き業に堕した私を許してくれ
ないであろう。魂が擦り切れるまで哲学をしていない私を軽蔑するであろう、
それが苦しいので、時折私は必死に叫んでみる。「私は先生とは違うのです、
こういう形でしが哲学ができないのです」そうしながら、「それでいいのだよ」
という先生の優しい言葉を期待する。だが、いくら耳を澄ましても何も聞こえて
こない。≫
▼ 何度も読み返えすたび、その都度、それぞれの青年期の節目の苦悩が蘇る。
多かれ少なかれ、青年期には、各自が、似たような苦悩を抱えて苦闘するが、
いつの間に現実に同化してしまう。で、娑婆娑婆して、この有様! 色即是空
・・・・・・
4830,「事業人生を決心して45年」の語り直しー8
2014年06月05日(木)
* 「語り直し」を始めて驚いたことは
3年前の結末で、オセロゲームの駒が白から黒に変わったと思い込んでいた。
ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。
嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。
むしろ、不遇の渦中こそ、人生の醍醐味がある。ただ、気づくか気づかないか。
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06月05日(月)
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