ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5892,『しあわせ仮説』 −2 〜素朴実在論と、純粋悪
2325, ベナレス −1               
                  ー読書日記ー
図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。
写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。
この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真と
文章を中心に構成されている。実は数年前に、この番組をみていたのである。
本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。
早く読めたのも、その下地があったからである。
 ーー
著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」
 ―ベナレス 生と死の聖地 ーである。
<その内容の一部を抜粋してみる>
 −−−
インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、
ヒンドゥーの聖都ベナレスのレポートである。
その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。
「ベナレスで荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。

全国から車やトラクターで運ばれてきた遺体は、路地を抜けるために
屋根から降ろされ、人びとの手によって担がれ火葬場へと向かう。
「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム・サティヤ・ヘー」
(神様だけが真実である、神様だけが真実である…)
担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。こうして冥福を祈られながら、
やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。

聖地ベナレスでもっとも聖なる場所の一つであるマニカルニカー・ガートは
ガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。その歴史は数千年におよぶと
伝えられている。河に面して横長に伸び、その広さは五十mx二十mほどで
あろうか。焼き場は何もないスペースがあるだけで、多い時にはここで
十数体の遺体がいちどきに焼かれる。

ベナレスには二つの有名な火葬場があり、
・一つは街の南にあるハリシュチャンドラ・ガートという火葬場で、
・もう一つが、ガートが連なる河岸のちょうど真中あたりに位置する、
 このマニカルニカー・ガートである。
運び込まれてきた遺体は、まず、火葬場の中ほどにあるガンジス河へと
つながる階段を下り、ガンジスの水に浸される。そして組み上げられた
薪の上に安置され、そのたび油が注がれる。茶毘は伝統的な方法で行われる。
亡くなった人にもっとも近い親族の男性が喪主を務め、基本的に女性は
火葬場に立ち入ることはできない。喪主は、マニカルニカー・ガートに
ある床屋で髪の毛やひげをそり、白い装束を身に付け身を清めた後、
自分の父親や母親の亡骸に最初の火を自らの手で灯すのだ。

遺体が燃え尽きるまでの時間は、おおよそ二時間。
その間遺族は、焼かれて行く遺体から五、六メートルほど離れた場所で
肉体が消滅して行く姿をじっと見守り続ける。目の前にはガンジス河が流れ、
煙は何物にも遮られることなく空へと昇って行く。
聞こえてくるのは薪がはぜる音、人びとのささやかな声、
そして、遺体がまた運び込まれたことを告げる
「ラーム・ナーム・サティヤ・へーレ」という声である。

しかし、なぜこの街には、インド各地から遺体が運び込まれてくるのだろうか。
この疑問に対して誰もが"何故、そんなわかりきったことを聞くのだという
ような顔をして「この街で茶毘に付されれば必ず天界にゆける。そう信じて
いるからだ」とこたえてくれた。
ヒンドゥー教では、人生は「生老病死」といった苦しみに満ちていると
考えられ、そして生まれ変わるたびに、その苦しみを味わわなければならない
とされている。この考え方は、仏教にも影響を与えた「輪廻」という思想。
この「輪廻」の輪から抜け出ない限り魂の平安は未来永劫に訪れない。
こうした考えを信じる人びとにとって、ベナレスは生きることの苦しみ
から抜け出させてくれる救いの場所なのである。
遺体が焼かれた後、遺灰は目の前のガンジス河に流される。
最後に喪主の手で残された遺灰にガンジス河の水がかけられる。
こうして死者との別れの儀式は終わる。
ーー

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05月03日(水)
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