ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5878,閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー4
 生まれた供養形態。墓を求める際に永代供養料として一定金額を払うことで、
 墓守となる跡継ぎがいなくても、寺が命日に読経するなど供養を続けてくれる。
・直葬は密葬、家族葬の一番簡略化された形態だ。現在、東京では20%が直葬。
 直葬では、故人の遺体を寝台車に乗せ、自宅や葬儀社が用意する一時的な安置
 場所に搬送し、とりあえずそこに安置。そこで納棺し近親者だけで通夜をする。
 会葬者は呼ばない。翌日、霊柩車で火葬場へ出棺する。そして、やはり近親者
 だけで故人に別れを告げ、遺体は荼毘に付す。最後に、収骨、骨あげをして
 葬式は終わる。直葬の費用は多くとも30万円ほどで、僧侶に読経を頼んでも
 50万円以内でできる。もっとも簡素な形式を選んで近親者だけが集い、
 会食もしなければ10万円程度で済む。
▼ ますます直葬、家族葬が増えることになるが、長く続いてきた家族中心から
 個人中心主義になる御時世では当然の流れ。これが不景気になるほど、簡易な
葬式が増えてくる。直葬、密葬を宣言してしまえば、残された者は楽。
私の墓は、このブログ。閲覧は墓参りのようなもの。 
時どきの墓参り、本当に有難うございます。
・・・・・・
4416, ふしぎなお金
2013年04月19日(金)
                 「ふしぎなお金」 赤瀬川原平著
 子供用の絵本だが、人は当たり前のように使っているお金について、あまり
考えない。お金は自由の、エネルギーの、塊。日本人は金を不浄なものと考え
がちだが、お金は血液のようなもので、人間にとって非常に大事である。 
人を生かし、また殺してしまう力を持っている。 子供に諭しながら、実は
大人に語りかけている。 ーまずは、印象的な部分を抜粋ー
≪ *「冬のバーやレストランで、席につく前に、「コートお預かりします」 と
 いわれて、なんなドッキリとしないだろうか。だってコートの内ポケットには
 拳銃が入っている。それをそのまま預けて大丈夫なのか。というほど錯覚を持つ
 ほど財布は拳銃に似ている。だから「貴重品はよろしいですか」といわれると、
 何だかもっていかれるかと思って、その護身用の拳銃みたいな財布を、身近な
 ポケットに移し替える。でも移し替えながら、どことなく後ろめたい、とうより、
 どことなく情けない気になる。「お前はそんなに相手が信用できないのか。
 そんなに拳銃なしで丸腰に、なるのが怖いのか、という`声が追いかけてくる。 
 そういえぱ、昔の西部劇映画には、ガンペルトそのものを外す場面があった。
 宿について、あるいは自分の家に戻って、外敵なし、大丈夫、という状態で
 はじめてガンペルトを外して椅子の背に掛ける。ガンマンがくつろぐ一瞬。
 ところであのガンペルトとは、実はむき出しの現金を装着したベルトなのだと、
 そんな感じがしないだろうか。ガンマンはその現金でいつも勝負している。
*「日本の場合は刀の大小だ。明治以前、武士はみんな刀を差していた。
 男子、一歩外に出れば七人の敵、といわれるくらいで、刀の大小を肌身離さず
 持ち歩いていた。刀は護身用であり、権威でもあるところは、やはりいまの
 お金に似ている。武士の世界の文化の一つに茶の湯があった。招かれて行く
 お茶室には、小さな躍り口が設けてある。あそこを入るには腰の大小を外して、
 外の刀がけに欠けねばならない。武士はみな一瞬、躊躇したのではないか。
 財布は刀やピストルと違って、人を殺める道具ではないのではあるが、人は
 金のために人を殺したり、金のために自分の首を吊ったりして、金はやはり
 隠然たる凶器の光を忍ばせている。拳銃も財布も、緊張の物件である。
 いざとなると拳銃をぶっ放すように、札びらを切る。でも「いざ」とならない
 ときは、それはそっとボケットに仕舞われている。昔よりも落ち着いた現代
 社会では、さらに奥深くの内ポケットに移行している。」
*「足元にお札が落ちている。それを見たとたんにハッとする。千円札の四つ
 折りにしたわずかな面が見えているだけでも、何か異様にハッとするのは何故

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04月19日(水)
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