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堀井On-Line
by horii86
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■5811,下降感覚の仏教と、上昇感覚の仏教
 あなたの余命が削られないように、話題沸騰の近藤誠医師が余命宣告の
 ウソにメスを入れた1冊です。
☆ 歩いて通院できるほど体力のある人間が、ある日突然「余命3カ月」
 と診断され、手術や抗がん剤治療の挙句、本当にあっけなく死んでしまう
 ―このような悲劇を身の周りでも見聞きされていないだろうか。
 実は、余命宣告の多くはいいかげんである。治療が命綱の医者にとって、
 余命は短く言うほど「うまみ」が増すのだ。余命を告知される病気は、
 圧倒的に「がん」が多い。がんの本質に迫り、余命宣告のウソを
 暴くことで、患者本位の治療を提言する。
  ーアマゾンのカスタマー・レビューよりー 
・ガンには「本物のがん」と「がんもどき」の二種類あり、本物のがんの殆どは
治療では治らならない(見つかるころには転移してる)。治るのは「がんもどき」
の方だが、それはほっておいても問題のなかったもの。つまり、がん治療はいずれ
の場合にも無意味なものであり、むしろ副作用や感染症や合併症などのリスクが
あるぶん有害であるというのがこの本の根幹に流れる主張です。無駄にあがいて
苦しむより残りの人生をいかに楽しむかというのは価値観の一つとしてありだと
思います。私は共感しませんが。
・例えば、固形がんにたいして抗がん剤が延命に役立つと証明する臨床データ
はないなど、全体的に引用や紹介されている情報は偏っていて、都合のいいもの
だけを持ってきている印象はぬぐえません。がん治療なんてまだまだ未知の分野
で様々な主張があると思いますが、それについては全く触れられてない。
でも結局何が正しいかなんて私のような素人には分からない。私はこの本読む
まで何もしないという選択肢があることを考えもしませんでした。自分や身内が
ガン宣告され、今後の選択肢を模索してる人にとってこの本は選択肢を一つ
広げるヒントになる。この通りにするかどうかはおいて置いて。
▼ この数年来『どうせ死ぬなら「がん」がいい』(中村仁一・近藤誠対談)
 『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(中村仁一)
 『末期がん、その不安と怖れがなくなる日』(樋野興夫)など、怖しい本を
 敢て、取り上げてきた。それに加え、この本である。書店では見かけていたが、
 図書館にいつの間にか並んでいたので借りてきたが、これも、早速買った。
 その時になった時に、慌てないための予習である。これらの本などに影響され、
 4年前から、20年続けてきた年一回の,一日人間ドックを中止にした。
 上記のとおり「どのみち助かるのは助かる!助からないのは助からない!」
 と、判断した。 が、もう一つは平均看護期間が男9年と知ったこともある。 
 男は平均70歳で介護が必要になり、79歳で亡くなる。 介護で9年間を
 薬つけで生きるより、余命数ヶ月で死ぬのも悪くない。平均からみて、元気で
 いられるのは、あと2年?だが、実感が無いのは何故? 老人性鬱症状が日々
 強くなり、他人の粗探しで人相まで年々歪んでいくのが老人。
 気持ちは、50歳前半! 実際のところ、そのギャップが大きい!
・・・・・・
4349, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー15
2013年02月11日(月)
   * 床の間は、本来、仏の座る場所だった
 日本家屋の様式を取り入れている家には大抵、床の間が存在する。
そこには掛け軸、生け花、木彫りの熊などが飾ってあるものだ。床の間は室町
時代の書院造りに由来する。書院造りとは禅の思想にもとついて設計された
建築様式であり、書院とは幽玄を悟るための部屋とされる。床の間は書院の
中にあって仏を祀る場所、つまり仏が座る場所であった。そのため床の間は
部屋の中でもっとも上等な場所とされる。人間が座る場所よりも一段高く設置
されたり、板張りの床が普通であった時代でも床の間だけは畳を敷いたりした。
宴会の席などでいう上座は床の間の前に設けられるが、これは仏に近い場所が
上座にあたるという昔の慣習の名残である。もともとは仏を祀る場所であった
床の間だが、時代とともに形式が省略されていく。仏像は仏画となり、また

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02月11日(土)
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