ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5679,閑話小題 〜大口病院異物混入事件
・小菅: そういうことだと思う。誰に聞いても、「育てていけるか不安だ」
とかね。でもそうじゃない、育てていくんだって。みんな自分を中心に考えて
いるからね。子どもを育てたらあれができない、これができないって。
生き物というのは子どもを産んで育てるために生きている。
自分が生きていくことを第一に考えているわけではない。だから、娘が結婚
したときに、「今すぐ子ども作れ」と言ったら、「お父さんにそんな.」と
言われる覚えはない」と言われました)。それがやっぱり僕は、親から子へ
渡す言葉としてはね、あの言葉は正しかったと思うんですが、どうでしょう。
・茂木 なんかね、僕は人間って自分が動物だということを忘れて不幸に
なっていると思う。小菅さんもずっと動物たちを見てきたわけですが、
逆に動物から見て、今の人間社会に対する提言が、ありますか。
・小菅 もうちょっと楽に生きるべきだと思いますね。あれもこれもしようと
思うから疲れると思う。まずは生きること。基本は。しっかり生きて、子ども
育てて、それが軸なんで、それ以外はプラスα。それができないから人間として
どうなのかとか、そういうふうに考える必要はなんかないんじゃないか。
・茂木: 勉強ができないとか、たいしたことじゃない。生きていればよい・・
生きていることが一番価値があるということ、それが当たり前。
・小菅: 動物からみたら、何でそんなくだらないことで悩んでいるのと
思うと思います。「もっと平気で生きなさい」といっていると思います。≫
▼ 人間は、あくまで動物でしかない。それを忘れてしまっている。
特に、文明国では。もっと楽に、平気で生きるべき、と言うが、それに真に
気づくのは、概して老いてから。しかし知識を持ってしまった現在、それでは
生活に支障をきたす。だから、リタイアを区切りにして、気楽に生きろ!
ということ。そのため、長年の準備が必要になる。人は、動物であると同時に
知的動物でもある。 また偶然だが、下の文に続く!
・・・・・
4582, そして、人生はつづく ー2
2013年10月02日(水)
『そして、人生はつづく』 川本三郎著
ー『あとがき』ーも、良い (ほぼ、全文)
《「東京人」2010年7月号から2011年11月号まで連載した「東京つれづれ日記」
を中心に、この間のエッセイを編んでいる。書名はイラン映画、アッバス・
キアロスタミ監督「そして人生はつづく」に倣った。1990年、イラン北部を
襲った大地震の後、監督自身が大きな被害を受けた村を訪ねてゆくドキェメン
タリー風作品。どんなに悲劇に遭ったとしても生き残った者は、昨日と同じよう
に今日も生きてゆかなければならないという切実な思いがこの言葉にはこめられ
ている。家内を癌で亡くしたあと、私にとってもこの言葉は支えになった。
悲しみを大仰に語ることなく、毎日を普通に生きること。なんとかいままで
どおりに暮してゆくと。 3.11の惨劇のあと、現代を代表する俳人、長谷川罹
さんは、「やむにやまれ思い」で、俳句ではなく歌を詠み、『震災歌集』
(中央公論新社、2012)にまとめた。 そのなかに、こんな歌がある。
「ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち」
悲劇の大きさを知れば知るほど日々の「平安」が大事に思える。物書きである
私にとっては、一人で暮らすことに平安を見出していくことになろうか。
頭のなかにはともかく、暮しのなかには修羅を持ちこまないこと。静かな生活を
心がけること。そうやって家内亡きあとの日々をやり過してきたように思う。
もとより60代も半ばを過ぎた人間にはもう劇的なことも起らない。いまのところ
健康を保っているので、家事もなんとかこなしている。3・11後、「生存罪責感」
という言葉を知った。家族を失い、自分だけが生き残ってしまうと、死者に
申し訳ないという気持が強くなることをさす。生き残ったからにはなんとか
生きてゆかなければならない。そう思う一方で、死んでしまった者に負い目を
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10月02日(日)
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