ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383692hit]
■5513,閑話小題 〜老人漂流の闇
拳銃が入っている。それをそのまま預けて大丈夫なのか。というほど錯覚を持つ
ほど財布は拳銃に似ている。だから「貴重品はよろしいですか」といわれると、
何だかもっていかれるかと思って、その護身用の拳銃みたいな財布を、身近な
ポケットに移し替える。でも移し替えながら、どことなく後ろめたい、とうより、
どことなく情けない気になる。「お前はそんなに相手が信用できないのか。
そんなに拳銃なしで丸腰に、なるのが怖いのか、という`声が追いかけてくる。
そういえぱ、昔の西部劇映画には、ガンペルトそのものを外す場面があった。
宿について、あるいは自分の家に戻って、外敵なし、大丈夫、という状態で
はじめてガンペルトを外して椅子の背に掛ける。ガンマンがくつろぐ一瞬。
ところであのガンペルトとは、実はむき出しの現金を装着したベルトなのだと、
そんな感じがしないだろうか。ガンマンはその現金でいつも勝負している。
*「日本の場合は刀の大小だ。明治以前、武士はみんな刀を差していた。
男子、一歩外に出れば七人の敵、といわれるくらいで、刀の大小を肌身離さず
持ち歩いていた。刀は護身用であり、権威でもあるところは、やはりいまの
お金に似ている。武士の世界の文化の一つに茶の湯があった。招かれて行く
お茶室には、小さな躍り口が設けてある。あそこを入るには腰の大小を外して、
外の刀がけに欠けねばならない。武士はみな一瞬、躊躇したのではないか。
財布は刀やピストルと違って、人を殺める道具ではないのではあるが、人は
金のために人を殺したり、金のために自分の首を吊ったりして、金はやはり
隠然たる凶器の光を忍ばせている。拳銃も財布も、緊張の物件である。
いざとなると拳銃をぶっ放すように、札びらを切る。でも「いざ」とならない
ときは、それはそっとボケットに仕舞われている。昔よりも落ち着いた現代
社会では、さらに奥深くの内ポケットに移行している。」
*「足元にお札が落ちている。それを見たとたんにハッとする。千円札の四つ
折りにしたわずかな面が見えているだけでも、何か異様にハッとするのは何故
だろうか。足元に血が垂れている。それを見たとたんにハッとする。ちょっと
した赤い液体なのに、何か異様にハッとする。見てはいけないような、
一歩踏み込んだ秘密を見てしまったような、緊張感が走る。」
*「人間の血はだいたいみんなと同じで、成分にほとんど違いはないが、
自分の血は自分のもので、自分の体内に密閉されている。でも場合によっては
人助けで献血をする。場合によっては寄付したり、プレゼントしたり、投資で
失くしたりする。」
*「お金も血も、命にかかわるエネルギーの源である。流体である。
生臭いものである。でも、輝いている。いきなり見せられるとドキリとする。
プライベートでありながら、共有のものでもあるところが不思議な関係。」
▼ 財布を拳銃に、そして刀に喩える切り口がよい。撃たれ、切られたとき、
血が吹き出る。それからみて金はエネルギーと同じ。一万は一万の、一千万は
一千万、一億は一億のエネルギーがある。無駄を廃し、使うべきときは使う、
それが金の効用。
・・・・・・
4042, 世界の旅行記101 ー3
2012年04月19日(木)
* 旅行記は、旅人により再構築された言説
≪ 旅行という行為や、そこでえられた環境や状況についての情報は、言説
として再構成されている。おもいもかけない発見や探索、あるいはそれに
出会った旅人の心象や思考は、旅行記という形態に定着させられるときに、
一定の文スタイルやデザインを採用する。 文章のかたちをとるという点から
みれば、「文体」といいかえてもよい。見聞され体験された隔遠の地における
非日常の事実は、旅人の言語に変換され、日常の世界に発話される。著者と
読者とが共有する表現と読解のルールにもとづいて旅行記は書きおろされる
「言説」といったのはそうした意味においてである。 旅行記は、旅の事件記録
[5]続きを読む
04月19日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る