ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5501, 愛と孤独 ~池田晶子の言葉 〜D
人生を振りかえ鳥瞰し、残された一日一日を噛み締め味わう楽しみがある。
隠居生活は娑婆(雑多な日常)から隠れることであって、人生からの御隠れ
ではない。起承転結の「転結」を「転々」に変え、転がりながら最期を
迎えること。 それもこれも、どうでもよいこと! ーその辺りを抜粋ー
≪ 天野: 力を抜いて自分をコントロールする上で、老人力は非常に重要な
要素じゃないですか。前回のゲストの外山滋比古さんは、忘れるということ
がいかに重要かという話をしてくれたんです。第二の人生で定年まで、
一生懸命詰め込んだような知識は、第二の人生で自由に生きるというとき
には何の役にも立たない。そんなものは、思いっきりきれいに忘れて
しまったほうがいい、というふうに。
赤瀬川: いらないものを捨てたら、キャパが広がりますしね。
天野: そう。頭の容積は決まっているわけだから、サラ地にして、
新しい作物をつくりましょうという話をしていただいてね。
そのときにも赤瀬川さんの『老人力』のお話を思い出していたんです。
老人は忘れっぽいということで世の中はいけないことのように思っている
けれど、そうではないんだと。たとえば、若い人は失恋なんかしたら大変で、
その苦しみや悲しみを忘れることができなくていつまでもメソメソ悩む。
でも老人は「忘却力」を身につけているから、すぐに忘れてしまう。
赤瀬川: ええ、強い忘却力を持っていますね。
天野: そう、これまでマイナスイメージでしかなかった「忘れっぽさ」
をそんな悪いもんじゃない、というふうに書かれていた。あの本は、
ものすごいベストセラーになったけれども、どういうつもりで買ったので
しょうね。老人はまだ社会に役に立つとでも思ったのでしょうね。実際は
違うのに。・・ ボケたとかモウロクしたのが、老人力がついたとか
ポジティブに書かれて悪い気がしないですよね。≫
▼ 「神様(自然)は、老いの苦悩苦痛を和らげるため、忘却と鈍感さを
与えて下さった」という解釈がある。老いて今さら気ばんでも致しかたが
ないし、運命に従うしかない。忘却といえば、この随想日記。書き上げ
アップロードをした瞬間、内容は勿論、テーマすら綺麗さっぱり忘れて、
頭は翌日のテーマと内容になる。直後から次回分の書き直しを始めるからだ。
だから数時間後でも、その文に対し第三者になっている。この最大の収穫は、
過去に書いた同月同日分12年分の文章に出会うこと。時空を超えた自分に
毎朝出会うのも良いもの。また「(自)己の分」の限界も見えてくる。
それを第三者に曝すのも自虐だが「所詮こんなもの」という諦観が出来る。
「いい加減にしろ、先は短いのだから娑婆気を減らせ」ということ。
・・・・・・
4030, 一時停止 ー谷川俊太郎ー自選散文
2012年04月07日(土)
「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や
特集の雑誌を何冊か、読んできた。その散文集なら面白くないわけがない。
谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を
読んでいたら、人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた
文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。
* 「青年という獣」1957年 ーより
≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっとも
てっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を人間的と云って 差しつかい
ないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活
するとは、人間の社会の中に生きることだ。現代ではこの違いを理解する人は
少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、悪くすると
危険な言葉にされかねない。青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに
抗議する。青年は生きようとするものであって、生活しようとするのではない。
一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり
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04月07日(木)
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