ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383611hit]

■5429,人生で最も大切な技術 ー⑩ 苦悩と不幸の違い
何だろう? ほぼ老夫婦か、中年女性づれ。それが昼飯かわりになって
夕方まで腹持ちがした。100席+別席で150席。値段は400円なら、
価値がある。コーヒー・パンレストランという風。
  * ウィリアム・ブレイク の詩が良い!ー『無垢の予示』より         
 人の定めとしての喜びと傷心、希望と絶望、幸と不幸・・ まさしく、
これらを「正しく知ったとき」、私たちはこの世を無事に進んでいける。             
 ――                             
 一粒の砂に世界を見/ 一輪の花に天国を見る/ 
 手のひらに無限を/ ひとときに永遠をつかむ
・・・・・
4333, 自己とつきあうということ −3
2013年01月26日(土)
        「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 
 * 自己の主題化とは、変化する自分を距離を置いてみる自分を見つめること!
≪ われわれは万年筆や鉛筆といった事物と異なり、不断に生成し続ける存在
 であり、同時にその途上にあって、しばしば自己へのかかわりを課せられる
ような存在である。われわれは、事物や植物や多くの動物のように自己の存在を
意識することなく生きることはできず、自己や自己の生にかかわりをもちつつ
存在することを余儀なくさせられるのである。年齢的な変化とそれに伴う生成の
途上で、自己に関連することで言えば、自分がどのように変化しているのかを
問うこと、自分がどのような位置にいるのかを確認すること、自分がどのような
方向に進めぱよいのかを探ることなどは、誰にも避けられないであろう。
自己が自己を問うということは、自己をひとつの問題として意識することであり、
自己のなかに問うに値するものを見いだすということである。それはまた、自己
といった課せられた問いとして積極的にひき受けることでもある。
そして、その問いを実りあるものにするためには、自己のおかれている状況や
変化に対して注意深く見つめていなければならない。 自己の主題化とは、
状況のなかで変化した、あるいは変化しつつある自己の姿を一定の距離を置いて
何度も眺め変す試みである。しかし、それにとどまらず自己の変化を観察する
自分自身をも距離をおいて捉えなおす試みでもある。自己が生成の途上にある
かぎり、この試みは何度もくりかえされ、そのつど異なった自己の姿が
あらわれてくるであろう。・・・ ≫
▼ この随想日記の楽しみは露悪的、自虐的に自分を曝け出すことである。
 それは、自分を上から目線で見つめることになる。それを続けていると、
書いた数年後に、上から目線の自分を、さらに上から見ることが出来るようになる。 
だから、自虐をしている自分を見下している己もまた、自動的に見ている自分が
出来ている。毎年の同月同日に、10数年分の、これを毎朝、読み返している。
その時々の視線と視点が、デズニーのキャラを見ているようで、それがまた面白い。
 それは自分自身だけでなく、その対象にした人、出来事をも上から目線でみる
ことが出来る。だから、極限の喜怒哀楽の現象も、冷静に再体験することが出来る。 
晩年に、多くの人が自分史を書くのは、自分の人生を主題とした物語として、
書き残すため。他からみたら大したことでないが、本人からしたら人生は自分が
ヒーローである。 変化する自分を予め物語としての粗筋と、生きる指標を
決めておくとおかないで大きく違ってくる。最期は、‘面白かった!’
と実感できるかだ。
・・・・・・
3958, 他人を責める「新型うつ」について ー4
2012年01月26日(木)
    * 「他責的」な新型うつの病理
 ー 次の部分が、「新型うつ」の病理を解明しているー
≪ 大衆にある「よりよく機能したい」という欲望を満たしてくれるかのような
 幻想を覚える「ハッピードラッグ」を求めて、医師のもとを訪れる消費者、
いわば「抗うつ薬信者」ともいうべ患者が増えたのである。
なぜ、この欲望はこんなに強くなったか? まず、消費社会が購買意欲をかき

[5]続きを読む

01月26日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る