ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5409,新年に ー「過去」は過ぎ去らることはない
 豚がこれに異を唱えても、このことを自分たちの側しか知らないからだ。」
 哲学者のロバート・ノージックは、この安っぽい感情の幸せの信念が間違い
 と、架空の仮想現実装置を使って説明した。「この装置があれば、誰もが
 思い通りの経験ができるし、自分が都合よく装置につながっていることを
 忘れることができる。彼は、以後の人生につながって生きていていいと思う
 人間は誰もいないと結論づけた。こんな装置で得た感情はちっとも幸せで
 ないからだ。ようするに豚ならいざ知らず、洗練された有能な生き物には
 相応しくない目標ということ。
○ 判断の幸せとは、「○○について幸せだ」である。我々はものごとに
 ついての価値判断について幸せという言葉を使う。妻がタヒチに半年の
 赴任で、自分が子供達の面倒を見るとき、「自分は幸せでないけど、
 君が幸せなら僕も幸せだよ」という場合である。ここには、自分は幸せで
 ないけど、妻が幸せなら、仕方がないという判断が入っている。≫
▼ この3つの幸せが、混同してしまうから問題が生じる。ただヒタスラ
 仕事に打ち込み、別荘をたて、そこで茶道具を買い集め、茶会を開き
楽しんでも、最期に何か物足りない感情が残ったという類の話は、日常見渡せば
幾らでもある。この3つが混同している典型的事例である。感情の幸せを
追うあまり、太った豚が、その辺の豚たちいへの面子で、本来の質素倹約を
忘れ、何処か判断を間違ってしまった?のでは?いう後悔の念が纏わりつく。
 しかし感情、道徳、判断の幸せを分けて道楽をしていれば後悔はないはず。
フランクルの、「良く遊び、良く学び、良く働く」の3つを、特に「良く」
を意識して、バランスよく追求すれば、空虚な気持ちはないはず。
「つねに面白いこと、ためになることを思っていれば、それで幸せになれる」
ということか。
 ・・・・・・
3937, 閑話小題
2012年01月05日(木)
  * 年末年始
 この年末年始も、例年のように過ぎていった。事業から離れて初めての正月
になるが気持ちは何も変りない。ただ以前ほど政治経済のニュースに敏感に
反応しなくなっている。こうなれば、良いも悪いもないが。 まだ事業を
続けていたとしたら、この激流の中で夜も眠れない日々が続いていたはず。 
事業から一歩退いてみると、この断絶の大きさが更に鮮明に見えてくる。
TV番組も、派手な内容のものは少ないようだ。正月で特別なことと言えば、
蔦屋で数年ぶりにDVDを一本借りて見た位。
  * 元旦の殿町で
 元旦は、例年、東京から帰省してきた次男夫婦と、長男と、私たち夫婦、
合計5人で居酒屋での新年会が恒例になっている。次男夫婦は地元の同級生と
二次会とかで別行動。今年は長男と殿町に行った。駅前は、居酒屋チェーン店が
元旦でも営業をしているが、さすが殿町は殆どの店が閉まっていた。
その中で、一軒のスナックに入ったが、先客が二組み飲んでいたが、
危なそうな客。一時間ほど経った頃、50歳頃の革ジャンを着たテキ屋か、
ヤクザ風の客が私たちの隣に座った。隣なので何気なく話すと、奥さんと喧嘩を
して飛び出してきたという。暫くして「マスター、一軒回ってまた来るね!」と
出ていこうとするので、酔った勢いもあり、「勘定を払わないで出ていくの?」
と言ってしまった。ところが、「何だ御前、俺を馬鹿にするのか。
御前に、そんなことを言われる筋合いはない!」と凄んでくる。そのへんは、
慣れたもので「別に馬鹿にしたわけじゃない。自然に出てきた言葉。
そう思うのは貴方の勝手」と答えると、凄い目で飛びかからんばかり。
長男が、その辺の呼吸を知らないようで、立ち上がり乱闘寸前。ようは、呼吸。 
押しても引いてもダメで、「元旦そうそう、あまり怒るなよ!」とか
言っていれば良い。危ない奴ほど、簡単には手は出さないのは経験上知っている。
で、本人はプイと出ていったが、マスターに「あの客、馴染みなの?」と聞くと、
「一げんです」という。飲み逃げ、手馴れたもの。初めての店で、

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01月05日(火)
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