ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5300,閑話小題 〜宝くじで5億円当たったら何に使いますか
これまでの『世間』の解釈で一番、納得できた言葉が、
「社会=リアル、世間=社会を内部モデル化したバーチャル」である。
社会との関わりあいで、世間という内部モデルが、バーチャルにつくり
上げられる。たかがバーチャル、されどバーチャル。リアルとは、
ほど遠いが気にかかる虚構世界である。 ーその辺りから
≪ 社会という言葉と、世間という言葉があります。我々が人としてその集団
の中で生きていくうえの、その集団のあるがままの外界を、たとえば社会と
呼ぶとします。社会は現に存在する外界です。社会と世間は同列ではありません。
私にとって、世間とは、脳の中につくられる社会を投影した内部モデルです。
世間というのは、したがってリアルなものではなく、バーチャルなものです。
世間をどのように見ているかは、私の内部モデルとして、社会をどう投影して
考えているかということに関わってます。世間というものは、私の言葉で
いえば人間圏そのものともいえます。それは概念化された世界です。
人の営みの、しきたり化されているようなところから、価値観から何から、
全部ひっくるめての世間でしょう。だから、あるがままのリアルな社会とは、
少し違います。人間圏のリアルの側面としての社会については、絶えず
観察をして、世間という私の内部モデルを更新してます。・・
社会と交わるたびに、人間圏の諸々の情報が膨らんでいきます。すなわち、
内部モデルの細部が、どんどんできてくるのです。社会と関わるたびに、
世間というモデルが作り変えられるのです。 ≫
▼ 日本人、とりわけ地方の地域社会は、世間という長年積み重ねられた
地域偏見が一種の宗教のように、それぞれを縛り付けている。 そして、
それがバーチャルであることさえ気づかず人生を終える。だからライフワーク
を持っていないと、自分を見失ってしまう。バーチャルの世間に埋没すると、
ライフワークの価値が見えなくなる。だから、城下町は、文化度が高い人と、
低俗の人との二極分化が明確になってしまう。一般的に、低俗の人を世間と
いうが、誰もが、どこかに兼備えているから始末が悪い。それが年をとるに
つれ老醜として露出する。老いることは、恐しい!
さらに、老いた群れは、醜く恐しい!
・・・・・・
4568,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー4
2013年09月18日(水)
「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
* 幸せな人生とは、本人が決めること! 幸福感は、それぞれの人の核となる
魂の問題で、他人がとやかくいう問題でない。「不幸の極みと思っていたことが、
実は幸運の仮面を被っているにすぎない」と思えば、そう思えてくる。
実際に経験してみると、そこに多くの視点が見えてくる。本当の幸福感は
不幸の真只中にこそ、現れ出てくるのは人生経験を積むほど分かるはず。
ー以下の箇所はなかなか含蓄があるー
≪『サザエさん』の原作者の長谷川町子のマンガで、小学四年生のときに読み、
今なお覚えている作品がある。それは、一人の男の人生をめぐる、良い神様と
悪い神様の話だ。 何の不自由もない家に、玉のような男の子が生まれた。
これを知った悪い神様は、どうもこれがおもしろくなく、この男の子の人生を
惨憺たるものにしようとシナリオを練る。そして、「男の子の身に次々と不幸
が起こり、紆余曲折をへて船乗りとなった挙句に猛烈な嵐に遭遇して、最後は
絶海の孤島に流れ着き、そこで人生を終える」いうシナリオをつくりあげた。
はたして、男の子の身には次々に不幸が襲いかかる。しかし、良い神様が
それに気づいて彼を何度も助けたために、彼は幸せな人生を送ることになる。
ところがその臨終の場で彼は自分の人生を振り返って、本当に不幸な一生
だったと言い出す。そして、自分の夢は船乗りになって、どこかの島で人生を
終えることだったと述懐して息を引きとるのだ。二人の神様は、人間 とは
よくわからないと言いながら、去っていく。こんな話だ。このマンガが
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09月18日(金)
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