ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5086,タガメ女の正体 ー@
普段はいちいち覚えたつもりがないことでも、感動して思ったことはどこかの
引き出しに入っている。誰が整理するのか、その脳が整理して必要に応じて
出てくる。なまじ、記憶で試験勉強で覚えたより、感動で覚えることの方が、
自分の身につくということ」という。 ≫
▼「感動した時に、そこに自分がいる」には、納得する。この在庫を多く持って
いると、色いろな引き出しから、必要に応じあらゆる思い出が引き出せる。
感動体験を意識して文章化をしておくことは最重要のことになる。感動体験
の総体が、その人そのものといえる。感動は求めれば得られること。
特に大自然の懐で体験できる。それも、内なる経験は、そこへの旅路の行程を
乗り越えて、そこに至った喜び、そして、そこにしかない大自然の美しさの
感動が相重なり、至高体験になる。 そうこう考えると、まだまだ文章化をして
ないことになる。書くことが無いとは、書く能力が足りないということになる。
・・・・・・
3979, よかまん ー2
2012年02月16日(木)
「‘11年版ベストエッセイ集’人間はすごいな」会田誠(美術家)
ーよかちん節の由来ー
これが??大学の大根踊りレベルだったら別に、そんなものだが、東京芸大
の宴芸というから中和される。それも自分の個展の入口に堂々と、というのも良い。
品のないこと?この上ないので人には話すことでないが、面白さは格別。
卑猥な芸?も、書き方一つで抵抗なく読むことが出来る。若い時節の男の性欲は
男なら分かるが異常に強い。それを酒宴で、露骨に踊ってみせるのも一興。
神楽のヒョットコ踊りに、巨根の棒を振舞わして、オカメとの踊りを見たが。
その亜流だろうが、品はないが罪がない。 顔をしかめる人も多いだろうが、
よくぞ・・である。 ー前回の続きからー
≪ 美術大学に代々伝承されてきた宴会芸に「よかちん」があります。
僕は今から四半世紀以上昔のこと、美大の新入生歓迎コンパか何かの席で
初めて見たように記憶しています。どんなものかというと、宴もたけなわな頃、
やおら全裸の男が登場し、一升瓶を股間に挟んだまま、手拍子をとりつつ
"数え歌"を歌い始めます。
「一つよかちん、なんじゃいな。ひねれば、ひねればひねるほど、よかちんちん。
あ〜あよかよか、よかちんちん」 この「ひねれば、ひねればひねるほど」
のところで、一升瓶を男根に見立てたアドリブによる(この場合"ひねる")
ゼスチャーが入ります。口述的に受け継がれる芸なので、歌詞のバリエーション
は様々なようですが、僕が知っているところでは、数え歌は以下のように続く。
二つー振れば、三つー見れぱ、四つーよじれば、五つーいじれば、六つー剥けば、
七つー舐めれば、八つーやれば、九つー擦れば。そして十でとうとうよかちんちん
ー と結ばれます。つまりこのような色々な体験をさせれば、良いチンポ
(よかちん)に成長するという、まったくもって脳味噌パーな、でも憎めない
庶民的下ネタ芸なわけです。あと、どうやらルーツが九州ということもあって、
九州男児的マッチイズムの匂いもぷんぷんと漂っています。学徒出陣で出征する
美大生を「よかちル」で送ったという、泣き笑いの昔話をネットで見つけたので、
おそらく戦前からあったものでしょう。浪漫主義華やかなりし明治後期、
青木繁など九州出身者が東京美術学校(現・東京藝術大学)の乱痴気騒ぎの
飲み会で、郷里のお馬鹿芸を披露して喝采を浴びたーそんな空想を僕はして
しまいますが、もちろん定かではありません。いずれにせ、少なくとも僕が
美大生だった1980年代後半まで、油絵科を中心に脈々と受け継がれてきました。≫
▼ この後の文章に、よかちん節があるなら、よかまん節があってよいだろうと、
創作したのが面白い。私も、品位が邪魔をして?
そこまで思いもよらなかった。一升瓶の代わりに、ザルとは・・ とは。
Youtubeで調べたが、さすがに無かった。 ーつづき
・・・・・・・
3614, 哲学は死の練習になるか
2011年02月16日(水)
* 哲学は死の練習になるか ー木田元
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02月16日(月)
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