ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4996,暴走する世間 −10
秘境ツアーに、読書に、パソコンに・・ 日本人には、何もしないと価値のない時間と思い込む
妙な習性がある。定年をむかえ、それまでの延長に生きている人が、あまりに多い。
私も似たようなものだが、改めて、じっくり時間の過ごし方を考えなければ!
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3889, 積極的逸脱 ー2
2011年11月18日(金)
積極的逸脱は、その視点で捉えると多くの分野で見て取れる。
ベターに妥協せずベストを求めた結果の現象が逸脱になる。天才と秀才の差は逸脱を
しているかである。秀才は決して逸脱はしないで、その世界の価値観の中で頭角する。
野茂がメジャーに行き、その後にイチロウ、松井秀喜が続いた。初めてのチャレンジは
逸脱と捉えられがちになる。彼らは天才、それとも秀才だろうか?
日本のレベルを超えているので、日本では天才、アメリカでは秀才? いやイチロウは
アメリカでも天才だろう。そう考えると天才、秀才は比較の問題。とすると、自分で地元で、
積極的逸脱をしていたと思っていたのは、自己詭弁でしかなかったことになる。
単なるアウトサイダー、ハグレモノ。天才は、対象に没頭するあまり誤解のベールに包まれ
逸脱者として扱わた。ところで、酒や薬でトリップするのを積極的逸脱というのか?というと、
それは違う。前回、書いたが、40・50歳代に多くの問題が重なり、そのストレス解消の
ため秘境旅行に数多く行ったが、これは日常からの積極的逸脱であった。
その総量のエネルギーと感動は、その他の人生の総量と同じぐらいはあった。
人生の積極的逸脱で見られるのは、40歳半ばから50歳で一線を引退し、早々に自分の
趣味の世界に入る人がいる。江戸や明治時代には多く見られたが、現代では経済的事情が
あり、そんな優雅がことは難しい。 いや、それより、早々に産業廃棄物扱いをされてしまう
恐怖感が壁になっている。 私も結果からして、10年前に会社を売却して、第二の人生に
入った方が得策だった?と考えたが、それは後講釈。どちらにしても結局は同じ。
事業に「たら、れば」はない。積極的逸脱もあるなら消極的逸脱もあってよい。
一般にいう落伍者である。落伍による失意の果てに待っているのが自死。
これも、あの世への積極的逸脱と考えられなくもないが、好き好んで自死をする人は
皆無に近いから、消極的逸脱の果てになる。 鎌倉時代中期の僧侶一遍は時宗の開祖。
「捨聖(すてひじり)」と尊称された。捨てて捨てて捨て去った人。
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3524, 「人・ひと」と、「人間」の違い
2010年11月18日(木)
私たちは「人」と「人間」の違いを意識せず何気なく使っている。しかし、そこにはハッキリ
した違いがあるようだ。 この違いについて膨大なエネルギーで和辻哲郎が研究している。
【 和辻哲郎は「人・ひと」と、「人間」の違いにこだわり、これがどのように混同されて
使われてきたかを、英語、フランス語、ドイツ語などと比較対照しながら、考察を進めてきた。
日本語に「われひとともに」という言葉があるように、「ひと」「人」はわれの人としての自覚から
始めて、他人を意味している。そのうち「ひと」は「人は言う」や「人聞きが悪い」などのように
世人・世間の意味に用いられるようになった。 では、「人間」という言葉はどうか。
これは、人に間の字を添加している。間を加えるとすると、すでに「ひと」「人」は、自、他、
世人を意味しているのだから、そういう人の間を意味し、そういう人の間の関係を示すという
ことになる。人間とは世間であり、世界でもある。和辻は「法華経」や、その原典に関わる
古いインドの神話まで渉猟して、人間とはあくまで人間社会のことであって、天上や自然界に
関わるものでないことを実証している。】 ( 哲学者の言葉100 −稲垣真美著 p‐37 )
〜「人間は、人の間の関係を示す」とすると納得する。人は人との関わりあいの中で、
人間になっていく。また、それは人だけでなく、我われを産み出してきた根源といわれるものと
発展していくが、それは、人間の意味に、あくまでも含まないとする。根源を含め人間というと、
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11月18日(火)
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