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堀井On-Line
by horii86
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■4986,暴走する世間 −3
しかし実際はそうでない。小さなもの、背景などが目に入らないことが多い。目はカメラではない。
出来事の「画」を撮りはしないし、一度にすべては見えてない。視野の中で常に見えるのは、
全体の数分の一に過ぎない。たとえば通常の視距離でハッキリ見えるのは、視野の四分の一に
過ぎない。目はこの制約に対処するため、絶えず視野を動かし、一秒におよそ三回の割合で
動いて止まってを繰り返す。さらに動いている目に何が見えるかは、見る人によっても変ってくる。
たとえば、男と女では、気づくものが違う。男が女の財布をひったくられたのを目撃したとき、
女性はひったくられた被害者の容姿や行動に目が行きがちだが、逆に男性はひったくられた
犯人の風体を覚えている。 ・・・交差点では、右折か左折かをするとき、右利きの人は右折を、
左利きの人は左折を選びがちである。結果として、ある研究の報告者は、こう助言した。
「店や銀行で、なるべく短い列を探すとき、まず左側を見るべきだ」と。・・・「人は探しだすのが
難しそうだと、早めに「あきらめる』ようにプログラムされている」また、レントゲン技術者は
画像に写った悪性腫瘍の9割を見落としている」というし、アメリカ国内で10年前に
調査された結果だが、四丁に一丁の割合で見逃されていた。≫
▼「自分は、見れど見えず、知っても理解できず」と、突き放すべき。 昔読んだ本を再読して、
果たして、この本の主旨を理解していたのだろうかと疑問を持つことが多い。その時の自分の
知識レベルで中途半端に理解していたに過ぎない。 リタイアをし、過去を振り返ると
「しまった!、あの時の、あれは」と、日々、独り言を呟くことになる。その上に「手ごわい
後バイアス」のフィルターがかかっていれば、独り思い込みの世界に、それぞれが居るようなもの。
しかし、人は、失敗を恐れ、「何もしないという、より大きな失敗」を選択してしまう。
そして、これが限界と、自嘲するしかない。そして誰かに向かい「自分の人生を返してくれ!」
と、嘯くしかない。それが両親に向かったとき、自爆、無知の極みの悲劇になる。
・・・・・・
3879, 閑話小題
2011年11月08日(火)
* 焼鳥屋、鳥梅
私の幼稚園の頃の、一番初めの友達が、近くの焼き鳥屋の息子であった。
幼稚園の一年間と、小学校の二年の三年間である。ある日の午後、そこに遊びに行くと、
今から思うと焼き鳥の串さしの仕込みを御父さんがしていた。子供なりに、仕事の場には
近づいてはならないことは知っていた。ところが手招きをして、その一本の焼き鳥を
差し出してくれた。 そして、食べて驚いた。その美味いこと。ガムのようで噛んでも噛んでも、
噛み切れないが、その味わいと香りは、今でも強烈な記憶として残っている。その後、
成人になって長岡にUターンをしてから1〜2度、飲みにいったことがある。 私の幼馴染は
何があったか分からないが、店から引退し、姉さんと、奥さんが店に出ていた。
その店の前を二月ほど前にポタリングの帰りに通ったら、店の看板が無くなっていた。
そこで、姉さんらしき女性が、店の前で掃き掃除をしていた。 そこで、長岡の夜の博士と
自認している?人に、聞いてみたところ、「この春に閉店したが、その閉店の日に行ってきた。
姉さんも高齢と不景気で止め時と言っていた」という。それにしても、幼稚園時代の記憶の
原点の一つの店が閉店とは、時代の変わり目である。
* 11月7日になると
毎年、11月7日になると思い出すことがある。私が27歳で初めて貸しビルを完成、
その一角で養老の滝のFCの居酒屋をオープンした日である。 まだ生々しく憶えているが、
開店直後からパニック状態でオロオロし、身体は硬直し、冷や汗が出て、茫然自失とは、
あの状態である。一週間は使いものにならない廃人状態。 後で分かったことだが、
20年、30年の経歴を持っていた人でも、殆ど同じ状態になるという。 それを聞いて
安心したが、あの切なさは言語を絶している。それでも両親の創業時の姿からみれば、
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11月08日(土)
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