ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[392602hit]

■4911,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー50
去年から八月に買うと決めていたが、この春先の騒動で、それどころではなかった。ここで気持ちも落ち着いて
きたことと、「iPadバカ」というタイトルの本を読んだのがキッカケとなった。 そこで実際に手に取ると、
成るほど面白い。感想として、これはモバイル携帯が大きくなったというより、無線のタッチ式タブレットパソコン。
パソコンでゲームをしたことは皆無だが、今度はゲームなどソフトをダウンロードして、使いこなしてみたい。
タブレット(バインダー)で持ち運びが簡単で、無線であることが、これまでと違った感覚。ベッドや車内などで、
気楽にウェブ上の新聞やニュース、ブログなどを見ることができる。 パソコンの前に座り、電源をオン、ヤフーの
HPにアクセス・・ 等々を、タッチだけで出来るので手軽にネット世界に入れる。しかも板状で、何処へでも
持っていける。 まだ使い始めて数日なので、門前から一歩を踏み込んだばかりだが、これは日常の必需品になる。 
初期投資がゼロ円、ランニング・コストが5千円が高いか安いかは、その人によるだろうが、新聞を止めて少し
生活を切り詰めれば何とかなる?少し重いのが気がかり。あとは本を自動的にめくり、スキャンしてくれる器械でも
出現すれば良いが。 新聞・雑誌がタブレット式パソコンなどの端末の出現で淘汰されるといわれているが、実際に
手元に使ってみて、その流れになると確信。先日、近くのステーキチェーンでランチの写真を撮っていたら、
フロアーの女性が来て、「写真を何に使うのですか?」と、聞かれた。( HPに写真が多く掲載されているので、
競合店の視察とも思ってもいないはず)「ブログに、気に入ったランチを時々載せているので、これも」と答ると、
暫くして再びやって来て、「店長がブログを見たいので、ブログ名を教えてもらえますか」という。 
少し躊躇したが、教えたところ、厨房の辺りから、「出てきた出てきた」と小さな声。モバイル携帯で早速、
何人かで見ているようだった。そういう時代になったのだ。 薄型タブレット、無線、ツイッターなどで、誰でも
直ぐに情報が繋がると、現実社会の上にネット社会が覆いかぶさる時代が現実に、こういうカタチでやってきた。 
面白い時代である。
 ・・・・・・・
3439, 「うち」と「そと」という、考え方
2010年08月25日(水)
 日本人の考え方として、「うち」と「そと」を区別する。  「そとの人」に対し「うちの人」の話をするときには、
その人に敬称をつけないのが一般である。元もと「家」の単位をベースにして、その内側を「うち」といい、一歩出ると、
「そと」とする。 家の玄関は鍵をしめて用のある人以外は、あけない。節分には、「鬼はそと、福はうち」と、豆をまく。 
江戸時代の藩制度の名残で、属している組織の帰属を第一にする考え方は現在も続いているといってよい。 
朝礼、社員旅行などは、うちを固める儀式。日本的な名残。それが人間関係の中でも、考え方として色濃く残っている。 
「この人は、うち側の人で、友人。うち側でない人は、そとの人で、知人」とする。 裏切られたり、騙されると、
あっさりと、心の中で、そとの人に分別してしまう。 面白といえば面白いが。一般的に、家族と、信頼している友人、
そして会社の同僚が「うち」になる。それ以外は「そと」と単純明瞭。これが個人主義の欧米人からしたら不思議なようだ。
欧米は一神教。 ビック場Sと「私」の関係が「うち」で、その神の前で永遠の愛を誓った連れ添い、そして、二人の間の
子供と「うち」が拡大して、「家庭」が存在する。 しかし、日本の「うち」は、多神教をベースにして「家」に、
まず帰属して、その内側が「うち」で、外側が「そと」になる。 私自身を振り返ると、この二分法で知人、友人、
同僚を振り分けていた。一度、信頼を失った相手は、そとの人と、二度と、心を開くことはない。特に、卑しさを
見せつけられると我慢が出来ない。
 そういえば、「タテ社会の人間関係」で、中根千枝が《日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた

[5]続きを読む

08月25日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る