ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4903,閑話小題 ー自転車乗りは危険に満ちている!
  壊れてしまった時期。人生で一番、光っていた。見るもの触るもの全てが新鮮で、明るく
  光ってみえていた。時代は1967年、山頂に近づいていた。
・40年前=金沢の‘いとはん’(衣料スーパーのチェーン)を辞めて実家に帰ってきて、
  千葉の千城台ビルの計画に入っていた。父は末期ガンで東京女子医大で手術後、退院した
  父親と、計画を進めていた。 父は、医者の宣言通りに手術の一年後に亡くなった。
  死期が分かっている父と事業経験の伝達を一年がかりで始めて二ヶ月目に入っていた。
  将来に向けた明るさと、死に直面した父親の苦悩の狭間で、真近で人生と
  事業の原点を学んでいた。翌年、石油ショックが起き、最悪の出だしになった。
・35年前=長岡の大手通の四角にある実家の衣料量販店の店長で、4歳の頃のできた
  古ビルの建て替え工事の計画に没頭していた。引き継いだ店も順調に推移、商売が面白く、
  身体が浮いているように動いていた。 一種の躁状態で、怖いものなし、目は血走り、
  何かに取り付かれているようだった。衣料は一シーズンごとに完結する博打的要素が強い。
  そのコツを掴むと、これが面白い。
 30年前からは次回にするが、振り返ると刺激的で、恵まれていた背景があった。
・・・・・・・
3796, 「役に立つ」とは?
2011年08月17日(水)
 * 「役に立つ、立たない」を判断基準にしてないか?
 私たちは、何時の間にか、役に立つか、役に立たないか、で物事を判断してしまう。
その是非は色いろあるが・・しかし経験則で、我われは役に立つ立たないは結果でしかないことに
気づいている。教養は、その最たるもの。教養を役立てるために身につける人はいない。
これは目的でも手段でもなく、人間性の素養として積み上げること、そのことに意味(価値)がある。
哲学などは、目先、役に立たない。しかし自分の頭で考え、判断し、その結果を積み上げていくのが
人生である。 それを放棄し、目先の利益になるかどうかで判断したり、直ぐに手軽な身近な
人の意見に従って判断、決断をしてしまい、重大なミスをする。その辺のところを、今回の変動の中で、
しっかりと見せてもらった。(実は、その最たるものが自分?)
〜 哲学者の池田昌子は、著書の中で、鋭く指摘している。(「メタフィジカル・パンチ」)〜
【「学者」というと、役にたたないことをする人という自嘲気味な言葉が風潮になっている。
「学問をするところ」であったはずの大学という場所が、レジャーランドか、就職予備校に変わった
世の流れに呼応しているのだろう。「学問」すなわち「役に立たないこと」、「学者」すなわち
「役に立たないことをする人」、そういう等式が、人々の頭の中に、しっかりとできあがっているように
みえる。 ・・・(中略) ところでこの「役に立つ」ということの意味なのだが、科学理論に対する
科学技術の関係に明らかなように、生活と生存に直接に関係するもののことを人は
「役に立つ」と言う。相対性理論は役に立たないが宇宙開発は役に立つ。
解剖学は役に立たないが、医療技術は役に立つ。とはいえ、それぞれ前者あっての後者なのだから、
この御時世、総じて理科は文科よりは旗色がいい。文科、この無用の長物、経済学者が金持でない
ことが学者が無用であることの最たる証拠だと、妙な理屈を言った友人がいるが、それなら中世の
英文法に基づくシェークスピア解釈を一生の仕事にしている学者はどうなる。 
古代バビロニアの懊形文字の読解に全生涯を賭けている学者の立場はどうなるのだ。
 ましてや哲学、哲学科。外国語に事寄せることもできない、この学科を選ぶことは就職を
捨てることだ、と私の頃でも聞いていた。が、そういったことがどういったこととかを考えることこそ
先決であるはずだ、という理屈は、私にとってあまりに自明なことだったので、考えるために
哲学科を選ぶことに迷いを覚えるはずもなかった。まあこのあたりが、どうも普通の人の感覚から
ずれてきてしまうその核心部ではあるのだけれど。その生活と生存に直接に関係するという意味で、

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08月17日(日)
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