ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6859,読書日記 ~マインド・リーディングの「道具箱」
をしていたが、今では、ワザワザ手打ちにすることが多い。そこで考えること
になるからである。 この堅苦しい?行為は、日常を切取ることで、雑念や、
雑事を整理する役目になっていた。しかし、当時は、その行為が御宅的感覚
になり(今でも、そうか?)、1年で、封筒の全てを捨ててしまった。
(勿論、後年に公開した)もう2度と読返すことがない記録を何でまた?と。
その苦い経験もあって、現在は、同月同日分を、連日、コピペして流し読みを
している。この習慣自体が自分の心を不自由にしている?のか、逆に時間枠
から解放する役割になっているか… 半々である。
ネット検索で「自由とは何?」と入れると、面白いのが多々あった。
― 〜コピペ…〜
〔 幕末期、英語のリバティが「自由」と訳されました。自由の「由」には
いろいろ意味があります。よりどころ、理由、いわれ、口実、趣旨、事情、
手段、縁、風情…。これらの単語の前に「自らの」とつけると面白いです。
自らのよりどころ、自らの口実、自らの事情、自らの風情…。
幕末の人々がリバティという言葉を必死で考えた様子が伝わります。
現代、自由は保証されています。 でも、私たちはなぜ自由を実感できない
のでしょうか? 人間的欲望をそこにすべて託しているからじゃないのか。
自由という言葉には複雑な罠が張り巡らされています。
「俺は自由だ。なんだってできる」と誰かが叫びます。しかしこれは大間違い。
自在と自由を混同しているにすぎません。もともと、リバティは「自在」と翻訳
されたのですが、微妙に違うということになって、「自由」に落ち着きました。
自在とは、たとえば「相手を自分の意のままに操る」ということ。
これは独裁と一緒、みんなが自在を実践すれば世界は成り立ちません。
「自由」はむしろその対極にあるのかもしれない。
この限りある世界で相手との関係性を考え抜いた上で、思慮分別を伴って
自らの「由」を探ること。 〕
―
―
▼ 当時のボックス日記帳は、創造工学の川喜田 二郎 の本から発案したこと。
18年前からの、この随想日記は、そのクラウド版。『分類』の中の「検索」
にキーワードを入れると、過去の記事が、時系列に表記される。これで
当時の2度と日の眼にあたることがない?問題が解決をした。私は利用をした
ことがないが、グーグルのメールにコピペをしてクラウド化して、キーワード
で呼び込む使い方があるようだ。現実社会を覆ってしまったネット社会は、
自由の枠を限りなく広めてくれた。パソコン、大型TVで、毎日のように見る
YouTubeなどの映像世界は、連日のように、「心」いや『魂』を日常世界から
解放してくれる。<何何、オーバー過ぎる表現?> ならばYouTubeで、
【マッターホルン ムササビスーツ】 【マッターホルン ドローン】
【闘牛 街中】 【ドローンレース】 でも入れてみたら良い。あと、
【世界のクリスマス 鮮明画面】 【ライオンとバッファロウの死闘】
寝室に籠って下界から隔離していることもあるが…
これにゴーグルを身に着け、アルプスの山をドローンで飛ばしたら、これ程、
面白い体験はない。内的自由と、外的自由の境目にバーチャルで気楽に立てる?
余命1年と言われた後、カナダの合法地区の??ツアーを探して… 冗談!
魂の解放とは如何なるものか? 「死こそ魂の解放」というが、ならば自殺
の可否の倫理問題になる。生きたままの開放感。至高体験! 大自然の邂逅で
何度か経験したが… それはそれは! もう一つ、南アフリカのザンビアの
鉄橋からの100mのバンジージャンプ。息が出来ないほどの恐怖から、次の一瞬
の落下の最中の開放感。生きたままの死の瞬時の実感とは、あれだったのか!
自由は、死際の刹那の一瞬に姿が現われ出てくる? 楽しみ? とんでもない!
その前に、老化の悲劇の問題が待っている。
・・・・・・
6130,読書日記 〜「続・下流老人」
2017年12月25日(月)
<続・下流老人 一億総疲弊社会の到来 2016/12>
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12月25日(水)
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