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堀井On-Line
by horii86
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■6854,シェイクスピアの格言 〜1
  ◉ 陰は解るが、光は、さて何処でしょう? 光は、このブログに…
   陰と共に、鎮座している。 
《 楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ。》
  ◉ 会社整理のプロセスを喜々としていたら、30年来の担当税理士に
 「何もわかってない」と注意された。 この人物、私の45年の影と光が
  解りようがない! こんなに面白いことがないのに! 漫画的だが。

《 期待はあらゆる苦悩のもと。》
《 賢明に、そしてゆっくりと。速く走るやつは転ぶ。》
                     - シェイクスピア -
・・・・・・
6490,つれづれに哲学 〜トロッコ問題
2018年12月20日(木)
  * 二重結果論
 出産時に、母親の病で死産か、母親の生命か二者択一を迫られるケース。
当人の希望で子供を選ぶ選択もあるが、ほぼ母親の生命を選ぶことになるが、
そこには母体のためとはいえ、一つの生命を犠牲にしたなどの問題が残る。
半世紀ほど前に、この問題の問いかけを、ある哲学者が『トロッコ問題』と
して提議、現在に至っている。二重結果論である。

≪ ♦ トロッコ問題
 ある人を助けるために、他人を犠牲にするのは許されるのか?
という思考実験がある。哲学問題である。
< 線路を走っているトロッコが制御不能に。このままでは、線路上で作業中の5人
 がトロッコに轢き殺されてしまう。そしてあなたは、線路の分岐器の近くにいる。
トロッコの進路を切り替えれば5人は助かるが、切り替えた先にも1人の作業員が。
5人を助けるために、1人を犠牲にしていいのか?  それとも運命としてそのまま
見過ごすべきなのか。> 
  これを様々な視点から、深堀をしていく。
・道徳神学にまで遡る、トマス・アクィナスが挙げられる。
 彼によれば、〔攻撃者から自分を守るために、自己の生命の保全を意図して、
それに必要とされる以上の力を行使しないなら、攻撃者の死という結果を引き
起こしたとしても正当だとされる。つまり、自己の生命の保全と攻撃者の死と
いう二つの結果をもつようなことができる〕と主張しました。
・ベンサムもそれに関わります。手段が行為者が選んだ目的と関係するやり方と、
 二次的な結果の二つがあるが、二次的結果は間接的に意図するだけだという
ことにすぎないと。ご存知かもしれませんが、この二重結果説は応用倫理学でも、
時折、取り上げられます。医師が母親の生命を守るためには、胎児を犠牲にする
しかない場合、あるいは、その反対であっても、どちらかを犠牲にせざるを得な
いときに、医師は、二重結果説を持ち出さない限り、何をしても生命を殺害した
という責任を負わなくなければいけなくなりますから。≫

▼ この問題で、まず考えたのが、自分の人生。20歳時の授業で、夏休みの宿題
〔将来設計図の構築〕。 これを一夏で? 初めて将来のことを真剣に考える
ことになった。考え抜いた結論が、幼児の頃から見ていた両親の姿。ところが、
大家族の末っ子で甘やかされ、育ったこともあり、創業には最も向いてない?
無理に無理を重ね、精神破綻を、一日に二時間の読書習慣と、早朝の散歩や、
旅行などでストレス解消で何とか防いで、リタイアまで辿り着いた。そこには、
何かしら、出だしの選択が間違っていたのでは?という課題が突きつけられる。
 会社整理の問題も、然り。 残された人生で、自分の人生を肯定するか、
否定をするかの自己問答に直面する。これは、私だけの問題ではなく、万人の
問題でもある。ネット上に、同じ場面をオモチャにして幼児に差し出す動画が
あった。何と左側の一人の人形を、5人の人形に持ってきて、轢かせたのである。
「皆んなまとめてやっちまえ!」である。 人生の中で、私たちは、似たような
ことをしてきたのでは? と誰もが考える?はず。 まず数で一人の犠牲を
選択する。 ところが、この判断は、神の領域で、間違い。 神に祈って、
後は、神の御心のまま。手を下すべきでないが、識者の大勢のようだ。人生を

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12月20日(金)
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