ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383559hit]

■6848,閑話小題 〜動物の不思議な世界
ないものを怖がって生きているなんて、何か変じゃないか。>

▼ 池田晶子の書籍を多く読んできたが、上記のエピクロスを噛み砕いた、
 個所が私にとって、ベストの部分である。父が亡くなる前に、死の恐怖に
慄いていた時に、エピクロスの一節、
【われわれが存するとき死は存せず、死が存するときわれわれは存しない】
を説き、一人称の死は、妄想とと知った時の父の安堵した顔を忘れられない。
たった、これだけのことを知っているかどうかで、死の恐怖が10分の1、100分
に激減するのだから。
〈所詮は10の500乗の多宇宙の中の、この宇宙の生臭い塵でしかない『自分』…〉
でしょう。 なら、生臭い人生、何おか言わん! となるとエピクロスの快楽
主義に毒され過ぎた私の脳レベルが露呈する。
 最後は、「達磨さん、ちょいとコチ向け」ですか!

――――
2011/01/31
3233, 死は‘別れ’のとき ー2
* あなたと出会って良かった !
 昨日は高校の同級生の葬儀。 150人位の参列者で、同級生は15〜6人位。 
 通夜は11名で、通夜と重なっている人をならすと22〜3名。それぞれが
背負って生きてきた人生の全体が 垣間見えるのが葬式である。高校の同級生の
葬式といえば、次は誰かと互いに詮索し押し付けあうのが恒例。ところで葬式で、
火葬場の最後の別れの場面が人生模様の圧縮が表出する。実は、この場面の
立会いが好きである。悲しみと同時に故人と家族の愛が全体を包むからである。 
故人の奥さんの絶叫が涙を誘った。御棺の顔部分の蓋を閉めるとき、奥さんの声
が聞こえてきた。
「あなたの奥さんで良かった! 幸せな人生でした。 ありがとう。ありがとう。
ありがとうございました。ありがとう。ありがとうございました。」と。同時に
家族全員が号泣。そして娘さんが遺体を焼却炉に入れる直前に
「いや、入れないで!」と絶叫。 これまで、数かぞえ切れないほど、その場面に
立ち会ってきたが、これほどの感動的な悲しい場面は初めて。 会場の殆どの人が
涙を流し、立ちすくんでいた。奥さんと家族の感情が自然に堰を切ったように
出たのである。火葬場からの帰りのバスの中でも涙が止まらなかった。
 自分の家族に、果たしてこんなことを言ってもらえるだろうか。無いだろう!
  ところで、本人の死に顔は気の毒なほどやつれていた。 
すざましい苦痛との死闘があったのだろう。   ご冥福を! 

・・・・・・・・
2009年01月31日(土)
2858, 人生を振り返り、俯瞰してみると −2
 63年を振り返ってみると、人生は自分しか歩けない一本道ということがわかる。
その時節ごとに、それぞれの時代背景があり、その度に色いろな人との出会いが
あった。その時どきには、それが全てに思え、またそれしか見えなかった。
前回書いたように、それぞれの年代を上から下へと断層面として眺めると面白い。
断層面としてみると俯瞰がしやすい。「父が現在の私の年齢の時には私22歳。 
そうか父は私を大きな期待と不安を持って見ていたのか!」とか等々。
十年単位の断層を見ていたら、「私の周期は9年」ということが見えてきた。
9,18、27、36、45、54、63歳である。 この時期に大きな節目に
なっている。これからすると、次は72歳になる。もしかしたら、あの世への御門
が待っているか? それとも今年?
ーところで、人生をビルに例えて階層を重ねてみたら解りやすい!
 屋上ー
8階ー80歳代以降は、一日一生で、毎日を味あう時期。
7階ー70歳代は、人生の整理の時期に入り、全てをシンプルに変えていく時期。
6階ー60歳代は、人生の豊穣の時、それまで出来なかったことを新たに始める時。
5階ー50歳代は、大きな人生の回り角、競馬で第三コーナーを回って直線に差掛
   かかる時期。
4階ー40歳代は、人生の八割がたが決まり、一息つけるが胸突き八丁でもある。
3階ー30歳代は、それまで蓄積した全てを創造に向けて吐き出す時期。
2階ー20歳代は、泥まみれになりながら、社会人としての基礎を身に付ける時期。

[5]続きを読む

12月14日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る