ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6806,閑話小題 〜招福の「まねき猫」
(基督教、マタイ福音書)、
・自分のために望むことを兄弟のためにできない者は信者とはいえない
(イスラム教、スンナ)、
・己の欲せざるところを他人に施すことなかれ(儒教、論語)等々の教えは、
よく知られている(p.132-134)。
本書でまた、米国を拠点に活動するNPO団体フリーダムハウス(世界の自由の
拡大を目的とする監視機関)の調査結果を引用し、民主主義国家と専制国家とを
比較すれば、人命尊重を旨とする民主主義国家のほうが、戦争や飢饉による
死者が少ないという結果が出ていると指摘している(p.139-144)。 ≫
―
▼ 経験を積むほど、教養が深まるほどに、やさしくなるのは、これ如何にと
考えると、著者の言わんとする一部分が解るということ。 老いて、
「いじわる婆さん」「いじわる爺さん」ほどの老醜化はない。しかし足腰が弱る
など、身体が不自由になれば、愚痴も言いたくなるし、怒りを他者にぶつけたく
もなる。だから、老いたら群れるのも程ほどが良い。いや、自動的に孤立化、
孤独化する。だから、独り遊びの習慣が必要。そして、その結果の楽しさを
他者に分け与えることが、やさしさでもある。
‘もう少し人にやさしく!’が、人生の要諦ということか。
けっして難しくないのに、何故、今まで 気づかなかったのでしょうか。
自分には、いやに、やさしく振る舞っていたのに。その辺りが限界だからで
しょうね、きっと! この年齢になったのだから、こう言いかえれば。
「熟年の年頃と感じたいなら、分け隔てなく、やさしい言葉をおかけなさい!」
聞いてやる、それもトコトン聞いて聞いて聞いてやる。 難しい?
なら聞いたふりでも充分。「分かるわ〜 で?」を、繰り返せば。それが
やさしさ。誰にでもこびり付いた傷がある。今さら消そうと思わないで、受け
入れるしかない。受入れ容認することを諦念という。諦めることを諦めること
から第一歩が始まる。 で、毎日、ウダウダ、これを書いています。
・・・・・・
5345,私が送りたかった人生なのか? 〜身の下相談
2015年11月02日(月)
ー身の下相談にお答えしますー上野千鶴子
* 私が送りたかった人生なのか
読んでいてバカバカしいが、こういう人が男にも多い。
私の周辺には少ないが、金融関係者に見かけられる。で、決断出来ない
まま定年を向かえ、OB会で他人の噂話で憂さ晴らしするしかない。
誰もかもが最後は死という挫折が待っている。
● 問い: 私が送りたかった人生なのか?=相談者会社員女性41歳
≪ 41歳で会社員、幼児1人の母で、人生80年の半分を過ぎ、最近、私は
こんな人生を送りたかったのか、という後悔に似た気持ちがあります。
37歳で出産以来、自分の思い通りに行かないと強く感じています。
それまではやりたいことをやってきたように思っていたし、いざやる気に
なれば何でもできると思っていました。しかし、子ども中心の生活に変わり、
自分のやりたいことを我慢し、仕事も勤務時間を短縮している状態です。
これが子どもが18歳まで続くのかと思うと、本当に私が送りたかった人生
なのかと思ってしまいます。私は海外(西洋文化圏)で生活基盤を作り、
自分の目でいろいろな国を見たり、世界を感じたbしながら働きたかった。
欧米圏に3年弱、大学生・大学院生としていたときは生き生きと生活していた
と思います。でも、節目で安易な方へ流れたようです。現在は、英語を多少
使う程度の仕事で、海外旅行も行っていないです。夫は私とは正反対で
自分が生まれた地が一番好きなので、海外に行きたいという話にはとても
嫌がります。自分の夢に近づこうと何かしたほうがいいのか、でも守るもの
が増えて思い切つた行動ができず、行き詰まりを感じています。
若い娘のような悩みで恥ずかしいですが、信念を持って人生を生きている
上野先生に、ご助言お願いしたいです。≫
● 答え: 求めて得た経験を楽しまなくちゃ
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11月02日(土)
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