ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383733hit]

■6787,閑話小題 〜ワールドカップ・ラグビー
知識として事前に知ることが可能である。『それさえ知っていたら!』の無知の
涙を流すことになる。 その経験知が集約されたのがパックツアー。

 まだまだプッツン前に、見たいところだらけ… 観光ツアーでも充分、魂に
歴史を刻印をしてくれる。秘・異郷ツアーは、日常の100倍の価値を感じとれる。
ライフワークとなると、話しても話しても、話尽きることはない。 
 52回×10日×100倍=52000÷365日=142年。
少なめで10倍の濃度で、14年分は長生きした充実感はある。
とすると+14歳=86歳? いや、実感はマイナスで、58歳。
実感は2倍、70年! とすると、日常の50倍の濃度。 
 …丁度、話半分ですか。

・・・・・・
4205, 異郷日記 ー日本人の人生は、ツアーに似ている
2012年09月30日(日)
               「異郷日記」西江雅之著
  * 現代の日本人の人生は、ツアーに似ている   
 数年前に、この人の書いた旅行記を何冊か読んだことがあった。
早大の教授で、世界の言語の研究のため、アフリカなど世界の僻地で直接、
原住民と触れ合う機会が多く、その体験談は非常に奥行が深い。この本は
4年前に出版されたものだが、既に早大を退職し、気ままに国内外を講演で
まわっているという。その著者の体験談の一言一言はツアーでしか、秘境に
行く機会のない者にとって、参考になることばかり。
 まず、「観光、旅、旅行、ツアー」の言葉の定義から…

≪"観光" "旅" "旅行""ツアー"などの類の語には、幾つかの側面で"異郷〃との
 重なり合いが見出される。目的地の異文化度が高ければ、当然、その重り合いは
 大きくなる。
◎‘観光’とは、現代の用法では、「わずかばかりの異郷感を、一時的に味わう
 ために金を支払う行為」と言えそうだ。一般的には、その行為は多かれ少なかれ、
地理上の身体移動が伴う。観光は、貨幣経済の中に身を置き、余暇という時間を
持つ社会に属す人々にのみ許された行為である。目的地で一時的な異郷感を味わ
させてくれる事物は、土地の人々から見て、必ずしも本物である必要はない。
それどころか、もし訪問地で見るものが全くの本物であったならば、訪れる人々
にとっては受け入れ難い事物の方が多くなり、観光は成り立たなくなるだろう。
それは、観光地で売られている土産品や観光ショーを思い浮かべれば明らかだ。 
 観光には"…らしさ"が重要なのである。観光に参加する側と、それを主催する
側とを含めた、全体としての観光というものを話題の対象とすれば、そこには、
企画、経営などという側面が大きな役割を果たすことは言うまでもない。
しかし、その場合でも‘・・・らしさ’は見過ごせない要素となる。

◎‘旅’は何より「道中」が主役。古典文学を見ても、旅の話を支えているのは、
 目的地に至るまで の道中で出くわすことになる数々の予期せぬ出来事だ。
道中で何が起こるか分からない。それを乗り越えて到着した目的地で、
一段落となる。道中にいる間、旅人は異郷の人である。人生は常に旅路にあると
自覚する者は、本物の異郷の人である。

◎‘旅行’の場合は目的地までの行程は保証されている。旅行者は目的地までは
 交通手段を利用して安全に運ばれる。目的地に到着してから、旅行者は思い
思いの活動を各自の興味に応じて開始する。結果として手に入れたいと望むのは、
個人的な楽しみであり、良き思い出である。

◎‘ツアー’では、出発点と目的地との往復が予め保証されている。それのみか、
 道中、宿泊地、目的地での行動内容の一つひとつが、あらかじめ他人によって
計画に組み込まれていて、それなりの効果を狙った演出も準備されている。
参加客は、それらの催し物を次々にこなしてゆくことで移動を終える。多くの場合、
自分の気に入った場所でも時間的な制約を受ける。物足りなさも残される。
しかし、全行程が保証されていて、何を見て、何をすべきかを考えなくても安心
できるという利点もある。昔、「人生は旅である」と言った。しかし、現代の

[5]続きを読む

10月14日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る