ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6760,閑話小題 〜木島佳苗という生き方 ー1
フォローっていうところか。熟成した相手には保険金をかけて… 手順とおりに。
ところで一般の素人娘にも、その要素を兼ね備えて、男たちを手玉にとる。
初心な男などイチコロ。何せ、『週刊新潮』のディスクも、アッサリと、落とす
のだから。 名古屋の花嫁学校の授業内容のシリアスさに、驚いたことがある。
男を獲物と見たて、その漁り場と、魚の見分け方と、確保の方法と手順を熟女?
の講師が、丹念に教える。 ところが名古屋なればこそ、だが。これで一生が
決まるのだから、それはそれは!
「人生、そう甘いものじゃない」なぞ解り示すには、彼女らには土台、無理。
慶応、上智、青山などの共学校に入って、探すのが手っ取り早いが、土台のない
女子には… 男女の仲は、当たるも八卦、当たらないも八卦。 これだけは、
添えてみて、初めて理解する。桃色吐息が、黄色になり、赤になり、黒色吐息に
なるに瞬間か、一生かけて知るかは、それぞれ。 最後は、『般若心経』ですか。
・・・・・・
6032,閑話小題 〜ハイデッガーの「世人」とは?
2017年09月19日(火)
* またまた同じテーマで…
地方都市に住んでいるため行動範囲が狭くなってしまう上に、対話できる相手
が少ない憂さ晴らしで、これを書いているところもある。 先日、「世間」に
ついての文章を書上げ、アップをしようとした直前に、「ネット内検索」に
「世間」と入れたところ、4ヶ月前に、酷似した批評が書いてあったため、
疲れがドッと出たが、急遽、他のテーマを書上げた… 。
前のテーマの内容も、ほぼ同じ語り口。そこで、この二つを比較するのも愛嬌と、
そのまま、提示することにした。 問題は、以前の方が力が入っていること?
ところが、昨日の同月同日の過去文に、 <『コトの本質』松井孝典著>の
「世間論」。これが本質をついている。<世間とは、リアルの社会を内部モデル
化した様相>と見切れば、これで充分のはずだが、何故か、書きたくなるのが
「世間」。同レベルで、閑のためか。 アウトサイダーを気どっても、所詮は
先祖様からの枝葉の存在でしかない。しかし、「誰にとっても生地は聖地」。
そこは汚してはならない生活圏。分かってはいるが、一度、得た自由の感覚を、
今さら変えることは出来ない。で、…私の内部モデルの心象風景は、とある
地方の「城下町モデル」。全国、いや全県的普遍性とネタの新鮮さに欠けるが、
娑婆の味が沁みている。
<『あの人、いま、どうなった(が〜?)』『あのバカ、今ではさ〜!』と、
城下町鴨が、今日もガーガーとガ鳴りたてる。> これが私の内部モデル。
――
4935,コトの本質 ー5
2014年09月18日(木)
『コトの本質』松井孝典著
* 世間とは、リアルの社会を内部モデル化した様相
これまでの『世間』の解釈で一番、納得できた言葉が、
「社会=リアル、世間=社会を内部モデル化したバーチャル」である。
社会との関わりあいで、世間という内部モデルが、バーチャルにつくり
上げられる。たかがバーチャル、されどバーチャル。リアルとは、
ほど遠いが気にかかる虚構世界である。 ーその辺りから
≪ 社会という言葉と、世間という言葉があります。我々が人としてその集団
の中で生きていくうえの、その集団のあるがままの外界を、たとえば社会と
呼ぶとします。社会は現に存在する外界です。社会と世間は同列ではありません。
私にとって、世間とは、脳の中につくられる社会を投影した内部モデルです。
世間というのは、したがってリアルなものではなく、バーチャルなものです。
世間をどのように見ているかは、私の内部モデルとして、社会をどう投影して
考えているかということに関わってます。世間というものは、私の言葉で
いえば人間圏そのものともいえます。それは概念化された世界です。
人の営みの、しきたり化されているようなところから、価値観から何から、
全部ひっくるめての世間でしょう。だから、あるがままのリアルな社会とは、
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09月18日(水)
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